〜いきさつ〜
この記事のきっかけとなる出来事が,2004年1月にありました。
私はそれまで,浜でカキを採っていて注意を受けたりしたことはありませんでした。
このときは,横島・村上餌虫店の下の石垣あたりでカキを拾っていたわけですが,
近くでカキ打ちをしていたオバサンに,「ここでカキを取ったらいけん」と言われました。
オバサンによれば,このあたりでカキを取ってよいのは漁協の組合員だけであり,
よそ者はカキを採るのなら金を払え・・・というようなことを言っていました。
オバサンと口論しても仕方がないので,公的機関に問い合わせることにしました。
広島県の場合,この問題の管轄部署は下のとおりです。
広島県庁
農林水産部 漁業調整室
(TEL)
082−228−2111 広島県庁(代表)
広島県のホームページには,「釣り人手帳」というコーナーがあり,漁業調整室からの
メッセージ(釣りをする際の注意点など)が書かれています。
このコーナーには質問の受け付けについて触れられていなかったので,最初そこにあるアドレスに
メールを送ってみましたが,しばらくたっても返答が来なかったので,直接電話をかけて聞いてみました。
※
電話で聞いた話では,「メールや電話の問い合わせには,なるべく答えるようにしている」とのことでした。
〜質問の内容とその返事〜
以下,漁業調整室の担当の方とのやりとりの要約です。
(問)が私,(答)が担当の方です。
(問)
釣りのエサに使うカキを浜で採っていたら,島の人に怒られました。
漁協の人以外はカキを取れないのですか?
(答)
次の2つの条件に合致すれば,カキの採取は規制を受けます。
@
その区域に第1種共同漁業権が設定されていること。
A
対象種にカキが含まれること。
(問)
その2点は,素人でも調べられますか?
(答)
区域が特定できれば,こちらでお調べします。
(問)
知りたいのは,沼隈郡内海町(田島・横島)です。
(答)
それでは,調べて結果をファクスで送ります。
〜届いたファクスの内容(原文のまま)〜
『
先ほど電話のありました件ですが,田島・横島には別紙のとおり,共同漁業権が設定されています。
貝類の採捕に関係する第1種共同漁業権は,太い実線の内側です。
(平成15年9月に漁業権の切替がありましたので,漁業権番号は異なりますが区域は変わっていません。)
※
別紙として地図が添えられており,田島・横島全域を太い実線が囲んでいます。
漁業権の対象種は,あさり,さざえ,えむし,わかめ
です。
※「えむし」とは餌虫のことで,本虫・ゴカイなどを指すそうです。
漁業権の対象となる生物を採捕した場合,漁業権の侵害に当たる場合がありますが,かきは含まれていません。
したがって,かきを採ること自体については,問題はありませんが,漁業権の対象になる生物の採捕が疑われる行為や,
これらの生物の増殖・生育を阻害する行為を行わないようにし,トラブルが無いようにしていただければと思います。
』
〜補記〜
上の文書に書かれているとおり,田島・横島で釣り人がカキを採る行為には,何ら問題はありません。
一方,アサリ・ゴカイ・ワカメなどは,採ってはいけないことになっているようです。
地域により規制の内容は異なるので,自分の近所の規制について知りたい方は,
広島県の場合は上記(漁業調整室)に問い合わせてみてください。
他県の方は,次のHPへ行くと調べられると思います。
水産庁
遊漁の部屋
ところで,島でアサリを掘っているとお金を請求された,というケースはどうなんでしょうか?
この質問の前に,もう一つ聞いておきたいことがあったので,担当の方にぶつけてみました。
「波止のフェンス」のことです。質問した内容は,「釣り人と漁協の人のトラブルを時々目にします。
釣り人の言い分は,『漁協にはここにフェンスを立てる権限があるのか?』ということです。
この点は,どうなんでしょう?」ということです。
これに対しては,担当の方も答えづらそうな雰囲気でした。「港を管理する漁協の方で,
危険があると思われるからフェンスを作ったんでしょうから,入らない方がいいでしょう」
というような返事でした。そこで,「では,その警告を無視してフェンスを乗り越えて入った人には,
何らかのペナルティーが科せられるのでしょうか?」と尋ねたら,それはこちら(漁業調整室)の管轄外だ,
というようなことを言われました。そういう経緯があったので,潮干狩りのお金を請求される件は
結局質問しませんでした。たぶん同じような返事が返ってくるだろうと思ったので。
ともあれ,福山方面の皆さん。そういうわけですので,安心してカキを採ってください。
もちろん,地元の人とはなるべくトラブルを起こさないようにしましょう。
法的な判断はさておき,かぶせ釣り師全体が白い目で見られてはいけませんのでね。
〜この件に関する情報〜
※ 2004年1月に東広島のタカさんからいただいた情報です。
以下は、まるささんが牡蠣採集の磯で遭遇された「ある出来事」に触れて思い出したことなどを、掲示板へ6回に分けて投稿した記事が元になっています。再録されるにあたり少し手を加えました。ここに書かれている意見は、もちろん私の個人的なものです。感想などを掲示板にでも書いていただけましたら幸いです。
1)ことの始まり
私は、熊本県は天草諸島の、上島と下島の間にある海峡の一部が広くなった入り江に面した町の出身です。天草の中では例外的に潮通しが悪く、水深も浅い場所です。私が小学生だった昭和40年代前半、この地区の漁協組合員の世帯は全体の3割程度で、他は兼業農家、石材加工業、商業、会社員、その他となっていました。当時は浜の岩場に付いている天然の牡蠣は誰が採っても自由でした。しかも、漁協組合員でなくても、浜の牡蠣を採って市場へ出すこともできたのです。そのため、主婦や浜辺の子供達の格好のアルバイト源になっていました。漁協組合員でない私の母親も冬場はこれで副収入を得ていたし、私も磯で牡蠣打ちを手伝って小遣いをかせいだことがあります。そういう事情から,以下の事件は、当時子供だった私も良く憶えている訳です。
35年程前のある年に突然、漁協組合員でない者が浜の牡蠣を採って市場へ出すには組合から1シーズン数千円?の鑑札を買わなければならないという「おふれ」が出されました。当時のことなのでもっと安かったかもしれません。私の母親はぶつぶつと文句を言いながらもこれに従いました。前年と同じ収入を得るには、もっと沢山の牡蠣を採らねばなりません。皆、シャカリキになって牡蠣を採ったように記憶しています。それでも牡蠣は無尽蔵と思えるくらいありました。その時点までは、自分の家で消費する分には鑑札も不要でしたので、それ程大きな問題には発展しませんでした。
2)漁協に浜の所有権?
ところが数年後、今度は、磯のものを自家消費するにも鑑札の購入が必要であるという「おふれ」が出されたのです。これにはさすがに漁協へ怒鳴り込む者も現れて、小さな田舎の町は一時的にギスギスとした雰囲気に包まれました。もし私の郷里が、組合員がほとんどの漁村だったら大きな問題にはならなかったと思います。逆に組合員が1割にも満たない地域だったら、そんな「おふれ」は無視されただろうと思います。しかし、運が悪いことに「それ」が3割だったのです。3割の漁協組合員が本来誰の物でもない筈の磯の恵みに所有権を主張することに、組合員以外から大きな不満が噴出しました。かの地に人が住んで以来の永い伝統・習慣を無視した「おふれ」が、地域への何の相談もなしに突然出されたからです。
いわゆる「入浜権」は、漁業者だけのものではなく、地域全体のものであるというのが当時の共通認識でした。この権利認識は、単に既得権益を主張するものではなく、当時、つまり日本の海が最も汚された時期に始められた海浜の環境保護運動の一つの柱でした。もう死語かもしれませんが、「海浜は皆のものであって、誰のものでもない」という理念に支えられたものと思います。
季節毎の磯の恵みをいただくことがどんなに大切な(食)文化であったことか。牡蠣の他にもタテガイ(タイラギ)、アサリ、シシガイ(アカガイ)、真珠貝(アコヤガイ)、マガリ(ヘビガイ)、ニシ、ミナ(ツブガイ)、ウニ、などなど。これらを竹籠一杯採ってきて、大鍋で煮て、鍋を囲んで、それぞれの食材に話題を寄せての家族団らんのひとときは伝統文化そのものでした。島を離れて都会へ移り住んだ人にもこれを贈ると何よりも喜ばれます。この伝統文化を守るために漁協が稚貝の放流事業などをやっているというのなら皆納得したでしょう。渓流釣りの入漁券が納得されているのは、地域の内水面漁協が中心となって稚魚の放流事業などをやっているからです。しかし、私の郷里では、当時そうしたことは一切やっていませんでした。自然環境の本来の機能が活きているうちは、天然資源は無尽蔵に再生され続けてきたからです。
地元の漁協へ怒鳴り込んでもラチはあきません。もっと上の県条例レベルで決まったことだったのでしょう。いなか者は眼前の死活問題でもなければ「お上」にたてつくことをしません。皆あきらめて、資源保護にも役立つならと自分を納得させ、お金を払って浜へ入ることにしました。少しのお金で済むことなら目くじらを立てて地域の和を乱すことはないという思いもあったようです。しかし、話はこれで終わりません。ある年突然、浜に大異変が起きたのです。
3)天然牡蠣全滅す
私は中学を卒業すると島外の高校へと進学し、そのまま単身天草を離れました。しばらく経った昭和50年前後の頃です。久しぶりに正月に帰省して、今すぐ牡蠣が食いたいと言ったら、母親が怒り心頭に発して、「牡蠣のなんのて、なかもん(牡蠣なんかない)」と言います。話を聞いて、浜へ飛んで行って言葉を失いました。私の「心のふるさと」である大切な浜の風景が一変していました。磯はどこもかしこも、今まで見たこともない巨大な牡蠣で覆いつくされていました。えっ??
事情はこうです。その年の数年前に漁協の中に牡蠣の養殖を始める者が現れ、静かな入り江の中に牡蠣筏を浮かべた。その養殖牡蠣の種が付近の岩に付き、あっという間に天然牡蠣を駆逐してしまった。これは広島の養殖牡蠣と同サイズで、天草本来の天然の岩牡蠣に比べて3倍くらいもあります。地元民は気味悪がって、そんな大柄な牡蠣は食べられません。私も天草へ帰ると一度にドンブリ1杯の酢牡蠣を食べていましたが、今でも広島の養殖牡蠣は生ではあまり食べることができません。
こういうふうに考えてみて下さい。15cmくらいまでの○ナマコしか採れなくて、それしか食べたことがなくて、ナマコと言えばそんなもんだと思っている島で、ある年突然、見たこともない30〜40cmの☆ナマコが大発生して○ナマコが全滅した。聞けばこの☆ナマコ、身が厚く軟らかく、どこぞの国では高級食材らしい。おそるおそる食べてみる。ゲツ!なんなこりゃ、ナマコじゃなかバイ!! ○ナマコば返してくれ〜 と、まあ、こんな感じですかね。ちなみに正月に里帰りするとナマコ(赤、青)も一度にドンブリ一杯食べます。
磯には、まだ他の貝類などは残っていましたが、それを採るにも、やはり漁協にお金を払わなければなりません。以前は天然牡蠣も採れたのに、それが採れなくなった。今まで何のためにお金を払ってきたのか。資源保護のためではなかったのか。不満は一気に爆発しました。抗議の声が強まり、まもなく湾内での牡蠣養殖は廃止に追い込まれました。天然の岩牡蠣が戻るのにそれから15年以上の歳月が必要でした。これでめでたしめでたしとはなりません。浜の異変はそれからも続きました。
4)モズク・タイラギ全滅す
郷里の浜に少しずつ天然牡蠣が戻り始めた頃、今度は、湾内でハマチやマダイの養殖事業が始まりました。ご存知のように、大量のイワシなどの餌を投入します。その内かなりの割合が養殖網からこぼれて周囲の海へ散らばります。潮通しの悪い海域では環境への負荷が非常に大きい事業です。案の定、富栄養化した湾内の海底は、あっという間に見たこともない藻で埋め尽くされました。一番ショックだったのは、モーゾク(モズク)が全滅したことです。子供の頃は、船をこぎ出して、覗き眼鏡と竹の棒を使って4〜5mの海底からモーゾクを採ることは冬場の楽しみの一つでした。それが出来なくなったのです。アマモも極端に少なくなくなりました。かっては、大潮の干潮時に膝まで浸かってアマモの「林」へ分け入ると、時として大きなワタリガニを捕まえることができました。今はどうでしょう。
他の貝類も次第に少なくなりました。そして10年程前に、とうとうタテガイ(タイラギ)が全滅してしまいました(このことは、昨年の夏に兄に聞いて知りました)。日中に潮位がマイナスとなる春先に浜へ行くと、あちこちにタテガイが見つかりました。大きなタテガイを見つけると大喜びでした。それが出来なくなりました。昨秋のオフ会でタテガイを食べられたのは、本当に久しぶりのことで感激しました(エスパーさん、ありがとう)。オフ会の際には郷里の海を散々自慢してきたのに、昨夏帰省した折に時間をかけて浜へ通い、家族に浜の様子なども聞いて、その変わりように少ししょんぼりとした気分です。私が少年時代を過ごした頃の豊かな浜はもうありません。
磯からたいした恵みが得られなくなった今でも、大半の地元民は漁協へお金を払って、時々は浜へ出ます。しかし、もうお金を払う必要なんかない、海を汚して資源を絶やしたのは漁協ではないかと考える人も現れました。私の母親は今でもお金を払っています。不思議なもので、昨夏その母親が、「お金を払わずに浜に入る者が居る」と言って怒っていました。決まりに従ってお金を払っている者からの、決まりに従わない者への不満です。まるささんが牡蠣採りの磯で会われた、漁協をバックにお金を要求してきたオバチャンも、私の母親と同じような気分だったのでしょう。その母親も、地元では大した獲物が採れないので、よその漁協管轄の奇麗な浜へ兄嫁に車で乗せていってもらい、ちゃっかり潮干狩りして来ます。
5)かくして海は汚れる
私の郷里の浜から天然の岩牡蠣が消えた日のショックと悲しみと怒りは今でも私の中で尾を引きずっています。ついつい「そういう目」で海を眺めてしまうのです。
浜辺に打ち上げられているゴミの中では、養殖筏のフロート用発泡スチロールの残骸など、漁業者が遺棄したものが圧倒的に多い、と、私の目には映ってしまいます。
台風の後などで多量の牡蠣筏の竹材が浜辺にうち寄せられることがあります。そうすると、関係者による回収作業が始まります。集めて浜辺で燃やす他ありません。今は、家庭ゴミを勝手に燃やすことは禁じられています。ダイオキシンが発生するからです。ダイオキシンは塩素を含む化合物で、塩分を比較的多く含むケヤキなどの落ち葉を集めて焚き火をするだけで発生すると言われています。海水に浸かった竹材を大量に燃やしている現場に遭遇すると心配でなりません。
抗生物質や劇・毒物など、法律によって取り扱いが厳しく制限されている化学物質も、漁協や農協を介すると、素人が、簡単に大量に入手し、ずさんに保管し、ずさんに使用することが、なぜか許されてしまいます。フグ養殖場の海へのホルマリンの大量投与などが問題になり、規制が始まったのは最近のことですが、同様の問題は他にも沢山残されています。
毎年10月始めに養殖牡蠣の出荷が始まる安芸津漁港では、蠣殻をベルトコンベヤーで一旦波止外側の海中へ捨てます。深さ5mの海底から蠣殻の山が築かれ、海上5m程の高さになる頃に回収して、どこぞへ捨てに行きます。安芸津に詳しいチヌ釣り専門の知人が言うには、10月の第一週目はチヌが寄って入れ食いとなり、二週目を過ぎた頃から高水温の中、富栄養化で酸欠状態となり、しばらくは何も釣れなくなる。次に魚が釣れ出すのは水温が下がってから後であるとのことです。今年は高水温が続いたので、まだまだです。安芸津の波止にはベルトコンベヤーからこぼれ落ちた蠣殻が散乱しまくっています。やれやれです。
6)入浜権の回復へ向けて
私は仕事で遠洋航海の大型船に2回乗った事がありますが、遠洋では生ゴミは垂れ流しが常識です。定期的に船腹のハッチが開いて大量の台所ゴミなどがドバーッと放出される訳です。釈然としませんが、まあ、遠洋では餌に飢えた魚がすぐに食べ尽くしてくれるので問題ないのでしょう。日本の渚百選に選ばれた天草白鶴浜の真っ白い砂浜にも沖を通るタンカーからタレ流される原油のカスが大量に漂着することがあります。カラになったタンクを清掃して流すのです。もちろんこれは違法行為ですが、誰も見ていないので取り締まることもできません。特に、漁業者でない船舶・海運関係者は海の環境保全に驚くほど無頓着です。
彼らに比べたら、漁業者はそれでも海を奇麗にしょうと努めている方だと思います。しかし、遠洋域に比べて沿岸部の環境は比べものにならない程デリケートです。そこから生活の糧を得ているのなら、海浜の環境保全にかかわって、なおさら守らなければならないモラルというものもあると思います。「遊魚者」と呼ばれる私達にも責任の一端はありますが、同じ海を愛する者として漁業者に遠慮する必要は何もない筈です。
広島で釣りを始めて、あちこちの浜を巡って気付くことは、地域によって海浜の環境保全に対する意識の落差が大きいということです。蒲刈はとても奇麗で、気持ちの良い所です。一方、某K橋島の、とある漁師町の海岸沿いの集落では、時々付近の民家からオバチャンが出てきて家庭ゴミを海へドバドバと捨てます。道沿いの磯にゴミの山が築かれますが、大潮の満潮時になると潮に流されて「めでたく」ハイさよならです。もしそんな地区で漁協にお金を要求されたら、私は自分の感情を押さえる自信がありません。
安芸津港の敷石の上にある牡蠣は身が良質でかぶせ釣りにはもってこいですが、泥をかぶって汚く、誰も食べようとは思わないでしょう。漁協の「なわばり」だから金を払えと言う人も現れないと思います。でも、もし、そうした天然の牡蠣や貝などを採ることに一種の「目的税」が科せられて、それが海浜の環境保全に使われるのなら、私は、安芸津港の敷石の上の「汚い」牡蠣を釣り餌として採るに際してもお金を払ってかまわないと思っています。
私の考えは特殊な経験から来る思いこみに囚われたものかもしれませんが、議論の輪を作り、正面から話し合えば、ベターな道はあると思っています。悲しいことですが、個人の努力を呼びかけているうちに大切な自然環境は取り返しの付かない状況へと追い込まれつつあります。「やぶ蛇」を恐れる余り口をつぐむことで、どのような立場の者にとってもさらに事態を悪化させ、将来への禍根を残すことになると思い、ちょっと勇気を出して投稿しました。遊魚者と漁業者が協力して事に当たるのが理想です。漁協などによって徴収されるお金が海浜の環境保全のための具体的な事業に使われるよう願っています。ついつい熱くなって少し脱線しました。書き尽くせませんがひとまずこれにておしまい。