2016/3/21 up

大人の英文法−コラム(9) アトラス総合英語・こぼれ話A 

 

英語の教材は「学生向け」と「一般向け」に大別できます。

前者はさらに「市販本」と「学校採用向けの本」の2種類に分けることができます。

フォレストやアトラスなどの文法参考書は,書店でも売っていますし学校単位でも使われています。

一方,たとえば桐原の skyward シリーズ(長文問題集)は学校採用オンリーで,書店では売っていません。

このタイプの授業で使う問題集は,予習する際に生徒が答えを見てはまずいので,授業が終了した

後で正解を配ります。だからその問題集が本屋で手に入ると,生徒はそれを買って,付録の正解

(市販本には必ず正解がつきます)を予習の際に丸写しするおそれがあります。

それでは授業が成り立たないので,学校採用向けで練習問題付きの本は,書店では販売されません。

以上は実用的な観点での違いですが,本の執筆者や編集者の立場から言えば,

市販本よりも学校採用向けの本の方が,はるかに大きな制約があります

そしてその「制約」こそ,日本の英語教育をダメにしている大きな要因の1つだと言っても過言ではありません。


 

アトラスの執筆を開始してから関連作業(校正など)が全部終わるまで,ちょうど2年ほどかかりました。

その間,編集部との間でさまざまなやりとりがありました。

当時のアトラスの編集責任者・Yさんには,大変ご苦労をおかけしました。

もっとも私の方も,負けず劣らず苦労しましたが。

Yさんの苦労と私の苦労とは,共通する部分とそうでない部分とがありました。

Yさんと私に共通の苦労は,端的に言えばクレーマー対策です。

前にも何度か書きましたが,学校採用用の教材を売る相手は学校の先生です。

だから出版社の営業マンは,学校の先生に気に入ってもらえるよう,本の長所をアピールします。

先生の方も授業で使う大事な素材なので,いろんな社の本を比べて検討します。

たとえば5社の文法参考書を比べて,特定の学習項目がA社の本にだけ載っていない

(他の4社の本には載っている)場合,教師はA社の本にネガティブな評価を下しがちです。

しかしその項目が,たとえば「関係代名詞のbut」だったらどうでしょうか。

A社の執筆者や編集者は,この学習項目が不要だという信念を持って本に載せなかった。

しかし他の4社は,今までも乗せていたのだからという安易な理由でこの項目を載せた。

−仮にそうであるなら,A社の「勇気」は賞賛されるべきです。

あえて勇気という言葉を使うのは,現実にはこのようなことはあまり起こらないからです。

どの出版社も,学校採用向けの教材では「他社との横並び」を強く意識します

そうしないと,学校の先生からクレームが来る(あるいは採用面で不利になる)からです。

「他の参考書には関係代名詞のbutが載っているのに,なぜおたくの本には載ってないの?」

と言われると,営業マンは困ります(英語の専門家ではないので)。

私は中学の教科書準拠の問題集などの執筆の仕事も受けていますが,中学の参考書や

問題集も,どの社の本を見ても中身はそっくりです(レイアウト・色・イラストなどでしか

類書との差別化が図れないので,中学の学参編集者も大変だろうと思います)。

問題の根源は,学校の先生の勉強不足と意識の低さにあります。

たとえば関係代名詞のbutは,OALDやLDOCEなど英語圏の一般的な辞書には載っていません。

実用的価値がないからです。また,今日では大学入試にもほとんど出ません。

(There is no rule but has exceptions. というカビの生えたような慣用句がたまに出る程度です)

しかし,これが大切な知識の1つだと今でも信じている高校の英語教師が少なからずいます。

わかりやすい図式で言えば,一般に学校採用の本では「編集チーム」と「営業チーム」の間で

一種の綱引きが発生します。編集チームは「適正な英語教材を作る」ことが主たる目的ですが,

営業チームは「売る」ことが目的ですから,極論すれば学習効果を多少犠牲にしてでも,売れた

方がいいという面があります。私でも営業の立場ならそう考えるでしょう。

いずれにせよ,アトラスの制作で私が一番苦労したのは,執筆者としての「良心」との葛藤です。

一方編集責任者のYさんは,私(&共著者の長田先生)と営業チームとの板ばさみに苦労したでしょう。

執筆者の「わがまま」と営業サイドからの要望の間を取ってまとめなければならないわけだから,

それはそれで大変です。しかし,現場の英語教師全員が「自分は生徒のために何ができるか」を

真剣に考えていれば,Yさんと私の苦労はほとんどなかったはずです。

英語教師が生徒のためにできることは,大きく言って次の2つでしょう。

(1)大学入試に合格できる力をつけさせること。

(2)将来英語を実際に使うための基礎的な力をつけさせること。

「関係代名詞のbut」のような知識は,そのどちらの目的にとっても無意味です。

だから英語教育関係者全員が(1)(2)の目的を共有しているならば,このような無駄な

知識を本から削り落としても誰も文句は言わないはずだし,そうあるべきです。

ちなみにアトラスでは,関係代名詞のbutは,編集部との合意の上でカットしました。

しかし,削りたかったのに(営業面を考慮して)残さざるを得なかった項目もかなりあります。

生徒は学校からもらった本で勉強するわけだから,本の中身に無駄が多いと当然学習は

非効率になります。責任転嫁するわけではありませんが,高校教師はその元凶が自分たちに

あるという自覚を持ってもらいたいと強く思います。


編集者のYさんが当初最も恐れていたのは,おそらく「執筆者に自由に書かせると,内容的に

偏向した本になりかねない」ということでしょう。それはよく理解できますし,だからこそ編集者と

しては「他社の本に書いてあること」を全部盛り込めば客観的に妥当な本になるはずだと考える

のも無理はありません。

しかし,私の立場は違います。

一口で言うと,今学校で使われている文法参考書は全部時代遅れだと私は思います。

その最大の理由は,前述のとおり各社の本が「横並び」を強く意識しすぎているからです。

「たとえ従来の文法参考書には載っていたとしても,こんな知識は無駄だからカットすべきだ」

「たとえ従来の文法参考書に載っていなくても,この知識は重要だから入れるべきだ」

私はこういう主張をたくさんしましたが,編集者のYさんは英語の専門家ではないので,

私の言うことが正しいかどうかを自分の知識だけでは判断できません。

そこで私は,Yさんに適正な判断材料を提供しなければなりません。この作業が大変でした。

ここではその例として, a house in which to live型の表現 (不定詞関係詞節) を取り上げます。

(a) He has no house in which to live. = (b) He has no house to live in.

    (彼には住む家がない)

私は,アトラスに(a)のような形を載せるべきだと主張しました。

しかしYさんは「難しすぎるのではないか」と言います。

学校採用向けの他の多くの文法参考書は,この形を載せていないからです。

そこで私は,この形が入試問題の中にどの程度出てくるのかを示す資料を作りました。

・What to eat, how much of it to eat, what order in which to eat it, with what and 

when and with whom have for most of human history been a set of questions long 

settled and passed down from parents to children without a lot of controversy or fuss. (10鳥取大)

・Today, it means a $10,000 watch box in which to store a $250,000 watch. (09福井大)

・Many kinds of birds build their nests in cavities; this means they need holes 

or containers in which to build homes. (05熊本県立大)

次の文は,長文中の下線部和訳問題として出題されたものです。

・It means also preserving natural environments in which to experience mysteries 

transcending daily life and from which to recapture, in a Proustian kind of remembrance, 

the awareness of the cosmic forces that have shaped humankind. 

(それはまた,日常生活を超越する神秘を体験する場としての,また人類を形作ってきた

普遍的な力の意識をプルースト風の記憶の中で取り戻す源泉としての自然環境を守る

ことも意味する)(02信州大)


また文法問題でも,主に難関大で時折出題されています。

◆As a child, Derek was exposed to an ideal environment (      ). 〈空所補充〉

@ in which foreign languages to be learnt  A in which to learn foreign languages(正解) 

B learning foreign languages in C which to learn foreign languages in (98慶応大)

◆Never before have we had so little time in which (      ) . 〈空所補充〉

@ to do so much(正解)  A we will do so much

B it does so much C we do so much (03 早稲田大)

◆He is @looking for Aa piece of land Bwhich Cto build Da storehouse 

for provisions. 〈正誤判定〉(01 東京理大)  *正解はB(正しくはon which)

私は自分が入れたい項目,あるいは入れたくない項目についてYさんに説明するために,この種の資料を

たくさん作りました。これは学校採用の本だから必要なことであって,市販本の場合は企画の骨子を守りさえ

すれば基本的に執筆者にフリーハンドが与えられます。

ついでに,もう1つ例を上げます。「前置詞+関係代名詞」という学習項目の中で,アトラスでは

the ease with which ... 型の表現を取り上げています。これも類書にはあまり見られません。

アトラスは入試対策を柱とした文法参考書なので,入試の文法・読解問題中によく出てくるこの形は必ず

入れるべきだと私はYさんに説明しました。the ease with whichはwith ease(容易に)という副詞句がもとに

なった表現であり,その説明がないと学習者には文構造がなかなか理解できません。

◆ My teacher was surprised at the fluency with (       ) one of my friends could 

speak both English and French. 〈空所補充〉

@ how A that B what C which(正解) D whom (09北里大)

◆彼らは彼女が英語を流暢に話せるのに驚いていた。〈整序作文〉

They were amazed at the fluency [ could / which / speak / with / she] English. (09東京理大)

*正解はwith which she could speak。

◆Over the past 12 to 15 years, the amount and types of data available 

on the Internet and, in particular, the speed at which we can process the data, 

have increased to and extent few people could have imagined. 〈読解問題〉(08センター本試験)

アトラス本体にはこのような資料はついていませんが,1つ1つの学習項目を本の中に入れるか

入れないかの判断の背景には,少なくともアトラスではこのような苦労があったわけです。

 

参考までに補足しておきます。不定詞関係詞節は,次のように理解することができます。

He has no house in which (he is) to live

    (彼には住む家がない)

このように (he is) が省略されていると考えれば,he is to live = he can [should] live と解釈できます。

なぜなら下線部の〈be動詞+to不定詞〉は,一般に「可能」や「義務・当然」などの意味を表すからです。

さらに不定詞の原義に立ち返って言えば,he is to live は「彼が住む方へ向かう→彼が住むことが

できる[住むべきだ]」ということ。この種の説明は入れようと思えば入れられるのですが,アトラスでは

(説明重視のフォレストとは違って)入試の重要事項を簡潔に提示することに主眼を置いたので,

「こういう形がある」という点を示すにとどめました。この「大人の英文法」には文字数などの

制約がないので,学習者に「なるほど」と思ってもらえるような説明を詳しく行っています。

 

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