私はもう30年近く,英語関係の学習素材や試験問題の原稿を書く仕事を専門に行っています。
そうした自分の経験をささやかながら社会に役立てたいという思いから,できるだけ多くの人々に
訴えようとしているのが,大学入試から文法問題を全廃すべきだという主張です。
この記事では,その点を中心として,今年の東大(前期)の試験問題を振り返り,
東大に限らず今日の大学入試問題(英語・筆記)が抱えている課題を再確認したいと思います。
東大(前期)の問題は,伝統的に次の5題から構成されています。
第1問:論説文の読解問題(英文の内容を日本語で要約する問いが中心)
第2問:自由英作文問題
第3問:リスニング問題
第4問:文法問題・英文和訳問題
第5問:主観的文章(小説など)を題材とした総合読解問題
この構成はずいぶん昔からほとんど変わっておらず,たとえば20年前の入試も同様の形です。
そして,この記事では主に,第4問の文法問題を批判の対象とします。
直近の(今年の2月に実施された)2019年度入試の第4問は,こんな問いでした。
興味のある方は解いてみてください。
「以下の英文の段落(22)〜(26)にはそれぞれ誤りがある。修正が必要な下線部を各段落から一つずつ選べ。」
※5つの段落から成る文章のうち,最後の2段落のみを掲載。内容はAgnesiという女性数学者の伝記です。
(25) Agnesi found a special appeal
in mathematics.
Most knowledge acquired from experience, she
believed, is prone to error and open to dispute.
From mathematics, however, (a)come truths that are
wholly certain.
(b)Published in two volumes in 1748, Agnesi's work was titled the
Basic Principles of Analysis.
It was composed not in Latin, (c)as was the custom for great mathematicians such as
Newton and Euler, but in Italian, to (d)make it more accessible to students.
Agnesi's textbook was praised in 1749 by the French Academy:
"It took much skill and good judgment to (e)reduce almost
uniform methods to discoveries
scattered among the works of many mathematicians very different
from each other."
(26)(a)A passionate advocate for the education of women and the poor, Agnesi believed that
the natural sciences and math should play an important role in an educational curriculum.
As a person of deep religious faith, however, she also believed that scientific and mathematical
studies must be (b)viewed in the larger context of God's
Plan for creation.
When her father died in 1752, she was free to answer a religious calling and devote
the rest of her life to her other great passion: service to
the poor.
Although few remember Agnesi today, her pioneering role in the history of mathematics
serves as (c)an inspiring story of triumph over gender stereotypes.
She helped to clear a path for women in math
(d)for generations to follow.
Agnesi excelled at math, but she also loved it, perceiving
(e)in its mastery of an opportunity
to serve both her fellow human beings and a higher order.
正解と簡単な解説は下のとおりです。
(25)正解は(e)。正しい形はreduce to almost
uniform methods。そのように変えてこの文を訳すと,
「お互いに非常に異なる多くの数学者たちの著作の間に散らばった種々の発見をほぼ一律の
方法(論)に変えるには,多くの技能と優れた判断が必要だった」となります。
つまり正しい文は,reduce A to B(AをBに変える)のA(discoveries
〜 other)が長いために,
Aをto B の後ろに回した倒置形です。
(26)正解は(e)。正しい形は in its mastery an
opportunity(ofが不要)。正しい形の意味は,
「Agnesiは数学に秀でていただけでなく,数学を愛し,数学を習得する課程の中に同胞の人類と
higher orderの両方に奉仕する機会があることに気づいた」。これも倒置構造で,
perceive X in its mastery(その[数学の]習得の中にXを見出す)のXを後ろに回した形です。
(higher orderは意味がよくわかりませんが,おそらく神学上の概念かと思います)
私は,この問いは悪問だと思います。
出題者はこの問いによって,どんな「英語力」を測ろうとしているのでしょうか?
この問いを肯定的に評価する人は,「英語の文構造を正しくとらえる力だ」とおそらく言うでしょう。
その人の頭の中では,
「正しい文構造(のパターン)を知る→それを応用してさまざまな英文を読む」
という学習の流れが想定されているはずです。
その発想をさらに広げて言うと,次のようになります。
「まず文法のルールを学ぶ→それを応用して英語を読んだり書いたりする」
私もかつては,そのような学習の流れを想定して生徒を指導したり教材を作ったりしていました。
しかし,今は違います。現在の私は,あるべき英語学習の姿を次のように考えています。
@発信(書く・話す)の学習のスタートラインは,「自分が伝えたいこと」である。
A受信(読む・聞く)の学習のスタートラインは,「そこにある英文」そのものである。
別の言葉で言えば,「最初に文法学習ありき,ではない」ということです。
@の発信について言うと,多くの教材にはたとえば次のような和文英訳問題が出てきます。
「私たちがスタジアムに着いたとき,試合はもう始まっていた」
これを逐語訳すれば,次のようになります。
(a)When we got to the stadium, the game had already
started.
しかし上の和文の内容は,過去完了形を使わなくても次のようにさまざまな形で表現できます。
(b)When we got to the stadium, the game was already
on. (on=進行中の)
(c)We got to the station after the game started.
(d)We couldn't get to the station before the game
started.
(e)We weren't in time for the game.
そのように考えると,発信のために過去完了形をどうしても使わねばならないケースは,
(He said she had moved to Osaka.
のような大過去の場合を除いて)ほとんどないと言えます。
もう一度言います。
「私たちがスタジアムに着いたとき,試合はもう始まっていた」
発信学習のスタートラインは,このような「伝えたい内容」です。
それをどうやったら(できるだけシンプルに)英語で表現できるだろうか?と考えることが,
ライティングやスピーキングの学習では最も大切だと私は思います。
次にAの受信については,「書かれている(あるいは耳に入って来る)英文」が学習のスタートラインです。
したがって,受信(たとえばリーディング)の学習素材として,実際に存在するはずのない文
(たとえば文法的に間違っている文)を使うべきではありません。
私が上記の東大の文法問題を批判する理由は,そこにあります。
正しい形の原文を示した上で,「下線部を和訳しなさい」などと問うのは一向にかまいません。
しかし,原文をわざわざ間違った文に変えた上で,「誤りを指摘しなさい」と尋ねるのは不毛です。
上の第4問のような凝った英語の文章を日本人が自分で書くことは,まずあり得ません。
原文を正しく理解できればそれで十分であり,自分でこんな文章を作る必要はありません。
つまりこれが悪問である理由は,受信用の素材を使って発信の力を尋ねようとしていることです。
今回の主張を補強するために,次の2つの問いを比較してみます。
「下線部を正しい形に直しなさい」
(A)When I called Akira, he is taking a bath.
(正解はwas taking)
(B)It was 1992 that the popular singer died.
(正解はin 1992)
私の判定では,(A)はセーフですが(B)はアウトです。
(A)は日本人が発信する(書く・話す)際に実際に使う可能性がある文ですが,
(B)は発信で使う必要のない文だからです(The
popular singer died in 1992. と言えば済むので)。
では,(B)の問いを出す出題者は,この問いによってどんな力を測ろうとしているのでしょうか。
その疑問に対しては,「強調構文の知識を確認するためだ」という答えが返ってくるでしょう。
しかし強調構文は(少なくとも日本人にとっては)発信には不要と言ってよい知識であり,
受信(主にリーディング)において強調構文の意味を解釈できれば十分だと言えます。
だから,強調構文の意味を解釈させる問いはセーフですが,強調構文を作らせる問いはアウトです。
そのような判断基準に照らすなら,上で示した東大の問題は当然アウトになります。
これは結局,そもそも英語は何のために勉強するのか?という教育哲学の問題に帰着します。
その答えは必ずしも1つではなく,人によって違います。
勉強の究極の目的は思考訓練であり,極端に言えば題材は何でもいい,と考える人もいます。
英語学習に関して言うと,「ただ英語が話せればいいというなら,専門学校へ行けばいい。
肝心なのは英語で何を話すかだ」のような主張もよく聞かれます。
しかしそれらはかなり「高望み」の意見であり,とりあえずは最低限のコミュニケーションが
できる程度の実用的な英語力を身につけるのが先決だろう,と素朴に思います。
上の(B)のような問いは,その目的に何も寄与しない悪問です。
今回取り上げた東大の文法問題はそれをさらに難しくした一種の「思考パズル」であり,
「文法学習の目的は文法問題を解く力をつけることだ」という誤解を生むおそれが多分にあります。
私自身も若いころは,その誤解にとらわれていました。しかし今は違います。
東大に限らず文法問題の出題者には,自分が作った文法問題が英語のどんな力を
尋ねようとしているのかを,改めて考えていただきたいと思います。
以下は,余談です。
かつて東大の英語の入試問題に対しては,(英文和訳と和文英訳しか出ない)京大の問題と
比較して,受験業界の誰もが「文部(科学)省の優等生」という高い評価をしていました。
「高校の英語の勉強をまじめにやっておけば誰でも高い点が取れる」
「付け焼刃の受験テクニックは通用しない」
一口で言えば,格調の高い良問だということです。
それは今でも変わっておらず,私も基本的には東大の入試問題が好きです。
しかし時折,受験生への配慮をやや欠いているように見える問題が散見されます。
たとえば,近年の第2問の自由英作文の課題を並べると次のようになります。
(写真や絵を説明させる問題などは省略)
・2012年度:もし他人の心が読めたらどうなるか。考えられる結果について英語で記せ。
・2013年度:これまで学校や学校以外の場で学んできたことのなかで,あなたが
最も大切だと思うことは何か,またそれはなぜか。
・2014年度:以下のような有名な言葉がある。これについてどう考えるか。
People only see
what they are prepared to see.
・2015年度:"Look
before you leap"と"He who hesitates is lost"という,内容の相反する
ことわざがある。どのように相反するかを説明したうえで,あなたにとってどちらがよい
助言と思われるか,理由とともに答えよ。
・2016年度:次の文章を読んで,そこから導かれる結論を第三段落として書きなさい。
(第1・2段落が与えられており,第3段落が空欄になっている)
・2017年度:あなたが今試験を受けているキャンパスに関して,気づいたことを一つ選び,
それについて英語で説明しなさい。
・2018年度:次の,シェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』からの引用を読み,
二人の対話の内容について思うことを英語で述べよ。(英文も示されているが割愛)
キャシアス「どうだ,ブルータス,きみは自分の顔が見えるか」
ブルータス「いや,キャシアス,見えない。目は反射によってしか,
つまり他のものを通してしか自分自身を見ることができないから」
(中略)
キャシアス「私が,きみの鏡として,
きみ自身がまだ知らないきみの姿を,
あるがままにきみに見せてやろう」
・2019年度:新たに祝日を設けるとしたら,あなたはどのような祝日を提案したいか。
その祝日の意義は何か。また,なぜそのような祝日が望ましいと考えるのか
私の評価では,他の年度の問いはよい問題だと思いますが,2017・18年度の問いはアウトです。
2017年度の問いは,日本語の尋ね方があいまいです。
たとえば東進ハイスクールのサイトでは,正解例の1つとして「女性用トイレが少ない。もっと
増やした方がいいと思う」というような内容が書かれています。しかし私が(高校生の)受験者なら,
この内容を書こうとしても,「キャンパスに関して気づいたこと」について「英語で説明しなさい」と
いう問いの指示から外れていないだろうか?という不安を持つと思います。
(そもそもキャンパスとは何か?という言葉の解釈の問題もあります)
2018年度の問いについては,私は別の記事で批判しました。
そのときは論点を分散させたくなかったので詳述しませんでしたが,少し詳しく書きます。
私がこの問いをアウトだと思うのは,「シェイクスピアが古いから」という理由ではありません。
最大の理由は,採点の基準が不明確だということです。
たとえば理系の受験者が次のような内容の答案を書いた場合,どう採点されるでしょうか。
「私は医学部志望なので,キャシアスの言葉には関心がない。ブルータスの発言に関連して,
人間の視覚と脳の関係を科学的に勉強していきたいと思う」
設問文は「二人の対話の内容について思うことを英語で述べよ」だから,この内容を書いても
それ自体は減点の対象にはならないはずです。
一般に自由英作文で採点の対象とするのは,主に次の2点です。
@正しい英語が書けているか。
A全体として言いたいことが相手に伝わる文章になっているか。
言い換えれば,書かれている内容のよしあしは採点に影響しません。
ただしそれは一般論であり,絶対にそうしなければならないわけではありません。
では,シェイクスピアの戯曲を題材としたこの自由作文で,上のような内容の答案を見たとき,
東大の採点者は上記@Aの一般的な評価基準に従った採点を行うでしょうか?
私は,その点に不安を感じました。
こういう出題をする人は,「文学的な答え」でないと認めないのではないだろうか?
―
これは私の勝手な憶測ですから,間違っていたらすみません。
ただ,他の大学の問題にも言えることですが,設問の文言は受験生にとって極めて重要です。
設問文は,できるだけ紛れのないよう,明確な言葉を使っていただくよう望みます。
それとできれば,採点基準を公開してください。受験生が一番知りたいのはそこなので。