日記帳(2013年3月31日)
ようやく桜も咲いてきて,春らしくなった。
プロ野球もおととい開幕したが,カープは負けた。
去年まではネットの中国新聞オンラインに「球炎」というコラムが載っていたが,
今年は今のところ検索しても出てこないようだ。しかし新聞本体にはいつもの
記者がコラムを書いている。開幕戦(3−4で巨人に負け)のコラムには,
「一死一,三塁で先発投手のバリントンにそのまま打たせた(結果は併殺)
のは無策だ。バントの構えをさせるべきだった」という批判記事が載っていた。
うちはずっと中国新聞を購読しているが,それは広島県内の記事が詳しいからだ。
カープの記事も詳しいが,コラムは読みたくない(しかし載っているとつい読む)。
なんでこんなコラムが毎年載っているのか?読者から批判は来ないのか?と
不思議に思って,グーグルで「中国新聞 球炎」を検索すると,評価が真っ二つに
分かれているのが面白い。このコラムをまるでダメだと批判する人も多い(それが
健全だと思う)一方で,「楽しくて仕方がない」的な意見を言う人もいる。
このコラムは基本的に「監督の采配が悪いから負けた」という路線で書かれている。
それが書き手の本心なのか,それとも一種のエンターテイメントなのはかわからない。
しかしどちらの場合でも,生理的に嫌いだ。(前にも書いたが)
少なくとも言えるのは,コラムの内容に客観的な妥当性はない。
上の例でも,コラムでは「スクイズバントの構えをすれば相手バッテリーが動揺する」
というようなことが書いてあったが,バカじゃないの?と言うしかない。書き手が本気で
書いているのなら相当に自己中な人だろうと推察できるが,もしかしたら新聞社内の
功労者だから誰も文句は言えないのかもしれない。しかし事実はたぶんそうではない
だろう。一番可能性が高いのは,「確信犯的に強引な理屈を書いている」ということだ。
要するに「こう書けば読み手が喜ぶだろう」というのが筆者の狙いだろう。
カープが負けた。そのうっぷんをどこかで晴らしたい。しかし選手が下手だと言っては
面白くない。「采配が悪いから負けた」という理屈の方が何となく知的だ。それに,
監督は最高責任者で敗戦の責任を引き受ける義務があるのだから,監督を責めても
誰も文句は言わない。それより重要なことは,「誰かを批判する」という内容の記事を
読んで喜ぶ読者がたくさんいる(それは自分の新聞記者としての経験からわかる)。
− こんな意識が書き手に働いているんじゃないかと思う。
品がない。
この一言に尽きる。
東京へ出張すると,ときどき「日刊ゲンダイ」という夕刊紙を買う。
ここに書いてある過激な記事が面白いことは否定しないし,まあ許容範囲だろうと思う。
その理由は,読者は内容がほとんどウソだと思って読んでおり,書き手と読み手との
間にそういう暗黙の了解があるからだ。こういうイエロージャーナリズムならまだしも,
普通に地元の人が読む一般紙で,人心を堕落させるような中傷記事を書いてほしくない。
カープが今年の開幕戦で負けたことを総括するなら,「負けたがよくやった」と言えば
いいだろうし,そちらの方がたぶん多くのファンの気持ちに沿っているだろう。
おっさんが酒場でこぼすような愚痴を垂れ流すのはやめてもらいたい。
自分も物を書いて生計を立てている身だが,あの書き手は自分が世間の人たちから
どう思われているのかを意識しないのだろうか。英語の本の世界にも,「よくこんな本が
出せるな」と思うような著者もいる。芸人なら何をやっても売れさえすればOKだが,自分の
書いた物をきちんと評価した上で読んでほしいと思うのが物書きの本能だと思うのだが。