この週末は広島県内は記録的な豪雨と被害で大変でしたが,皆さんいかがお過ごしでしょうか。
きのうは娘のツイッターでフジグラン(神辺)の駐車場が水没している写真を見て驚きました。
松永近辺はバイパスも国道も通行止めで,大渋滞が発生していました。
昼ごろ近所のハローズに買い物に行ったらここもレジが長い行列で,水が全部売り切れ。
前に並んでいた人は尾道から来ていて,尾道市内は断水で復旧時期は未定とのこと。
もちろんコンビニも,弁当や惣菜の棚は全部空っぽ。
雨に加えて交通もマヒしているので,仕事場にこもっています。
で,最近のニュースから思ったことをいくつか。
きのうの新聞の一面は「オウム事件の松本死刑囚ら7人に死刑執行」のニュースだった。
これを読みながら改めて,死刑制度はどうあるべきかを考えた。
以前雑記帳に,こう書いた。
「死刑制度は存続すべきだ。なぜなら,凶悪犯罪者の『死ぬ権利』は尊重されるべきだから。」
つまり,「もう死にたい」と思っている犯罪者を(死刑の代わりに)自然死するまで永遠に
刑務所に閉じ込めておくのは,死刑より悪質な人権侵害じゃないかと思ったわけだ。
今の考えはこうだ。
@死刑制度は廃止して,刑の上限は(文字通りの)無期懲役とする。
Aすべての人を対象として安楽死制度を新設し,「自ら死ぬ権利」を万人に認める。
B無期懲役の囚人も,安楽死制度を利用して自ら死を選ぶことができる。
今の日本では,たとえば末期ガン患者が「もう死にたい」と思っても,医者に劇薬を処方してもらうことはできない。
医者が殺人罪に問われるからだ。だから安楽死の認められている国へ行き,殺してもらう金持ちもいる。
これを改めて,安楽死を認める。具体的には,本人の求めに応じて医者が青酸カリなどを処方することを認める。
ただし,少なくとも次の3つの条件を課す。
(1)自分の意志で死ぬという趣旨の書面に本人が署名する。
(2)定められた場所(病院・刑務所など)で行う。
(3)薬は医者が処方し,飲むのは本人の意志で行う。(体が動かないときに限り注射を認める)
このような制度には,たとえば次のようなメリットがある。
・本人の意志が尊重される。
・医者や死刑執行人の心理的負担が減る。
・医療費や刑務所の運営費が削減できる。
・死刑制度廃止という世界の流れに沿う。
死刑制度に反対する人々の1つの大きな理由は,「人が人を殺すのはどんな場合にも許されない」ということだ。
しかし安楽死制度を作って「囚人が自分の意志で死ぬ権利」を認めてやれば,その問題は解決する。
医療と死刑にまつわる現状の問題を一石二鳥で解決する妙案,とは言えないだろうか。
サッカー日本代表が一次予選最後のポーランド戦の終盤に「時間かせぎ」の作戦に出たとき,ネットで賛否があったという。
夜中だったので試合を直接見てはいないが,報道を読んでこんなことを思った。
@「監督が取った作戦に賛成ですか,反対ですか?」
A「監督が取った作戦を許せますか,許せませんか?」
このようなアンケートをもし実施したら,世間の人々はどう回答するだろうか。
オジサンの予想は,以下のとおりだ。
@に対しては,「賛成」が6割,「反対」が2割,「どちらとも言えない」が2割くらい。
Aに対しては,「許せる」が8割,「許せない」が2割くらい。
「反対派」は,5人に1人くらいはいるんじゃないかな(オジサンは「賛成」派だ)。
@の問いでは「賛成」「反対」が個人の好みの違いにすぎないように感じられるかもしれないが,実際はそうではない。
Aのように問いの文言を変えてやれば,そのことが明確になる。
「賛成(6割)→許せる(8割)」になるのは,「賛成とまでは言わないが理解はできる」という人が加わるからだ。
大げさに言うなら,その8割が世の中を支える人々であり,残りの2割(反対派)は社会の敵だ。
別の言葉で言うと,人の行為(あるいは本人)に対して「許せる」という気持ちと「許せない」という気持ちの間には,
イエスかノーかという以上の大きな格差がある。
「許せる」派は寛容の心を持った人々であり,「許せない」派は不寛容な人々だ。
不寛容な人々が増えれば,世の中は暮らしにくくなる。ネット社会ではそうした現実が加速している。
詳しいことは省くが,単に「好きか嫌いか」の問題ではないのだ。
野球もしかり。監督の采配を指して「許せない」と言うような人は,日常生活でも同じようなことを言い,
周囲の(世の中を支えている8割の)人々の眉をひそめさせていることだろう。
話が脱線するが,メディアによるアンケートの取り方について1つ提言したい。
たとえば「原発の再稼動に賛成か反対か」と問うアンケートがある。
このような問いはすべて,「賛成」「反対」「関心がない」の3択にすべきだと思う。
その原発アンケートへのオジサンの予想は,「賛成」が2割,「反対」が4割,「関心がない」が4割くらいだ。
そこには「賛成か反対か」の2択とは全く違った景色が見えることだろう。憲法改正も同じだよ。
2,3日前に,東京医科大から文部科学省の官僚への贈収賄の事件が報道された。
大学のトップが主導して,自校を文部科学省の事業の対象に選んでもらうよう官僚A氏に働きかけ,
その見返りとしてA氏の息子を大学に合格させたという。
ほかにも同じことを思った人が大勢いるだろうが,この報道を聞いて直感的に思ったのは,
A氏の息子が気の毒だということだ。
事実は違うのかもしれない。息子が自分の意志で父親に頼んで裏口入学させてもらった可能性もなくはない。
しかしたとえそうだとしても,息子はもう医者にはなれないだろう。彼のこの先の人生を思うと胸が痛む。
それに比べて…と言ってはなんだが,日大アメフト部の宮川くんの将来は明るいだろう。
記者会見での彼の立ち居振る舞いは,立派の一語に尽きる。
そして,自分が彼の立場でも,(相手選手にけがをさせろという)監督の指示に従っただろう。
結果的に相手選手が再起不能の大けがをしたのなら話は別だが,彼の行為はいろんな意味で結果オーライだった。
東京医科大も日大も,さらにレスリングでパラワラが問題になった皇學館大も,問題の根は同じだ。
非常識なトップの意向に誰も逆らえないという組織の体質が,非常識な結果を招いている。
その図式は,社会のあらゆる局面に見られる。安倍政権しかり,一般企業(あなたの会社?)しかり。
その現実に愚痴をこぼしたり,けしからんと怒ったりしても何の解決にもならない。
不運にもそうした渦に巻き込まれてハンディキャップを負ったとき,そこから立ち直れるかどうかが大切だ。
そういう人には,宮川くんの例もあることだし,人生は長いんだから何とかなりますよと言ってあげたい。
※余談だが,経験的に言って,医学部に裏口入学することにはあまり意味がない。
裏口入学の多くは本人の学力や努力の不足を親が金でカバーしようとするものであり,そういう学生は
大学に入っても勉強しないから国家試験に合格できず,結局医者になれないことが多いからだ。
話がだんだん古くなっていくが,北朝鮮とアメリカのトップ会談という大きなニュースもあった。
いろんな人がいろんなことを言っているが,ここでは個人的な感想を語ってみたい。
自分が金正恩という1人の人間だったら何を考えるだろうか?というミクロの視点から,こう思う。
―
オレにとって一番大切なのは,自分の命だ。だから,命の危険を及ぼす2つの要素を排除したい。
1つは北朝鮮軍部によるクーデターだ。こちらは幹部を粛清したりすれば押さえ込めるだろう。
もう1つは,アメリカ軍の暗殺部隊だ。アメリカとの仲が悪くなるほど,この危険は大きくなる。
特にトランプが大統領の間はヤバい。というか,アメリカと仲良くなれば暗殺のリスクはなくなる。
だったら,アメリカと仲良くすればいい。今までそれができなかったのは,オレが核開発をしてきたからだ。
つまり「核開発を放棄する→アメリカと仲良くなる→暗殺の危険がなくなる」というストーリーが,
自分の命を守るためにはベストの選択だろう。
「トランプの任期が終わるまで適当にごまかして,そのあと核開発を再開する」という戦略もなくはない。
しかしその場合でも,またトランプと同じようなやつが出てきたら,暗殺のリスクは高まる。
一生暗殺におびえながら暮らすのはいやだ。自分の命を守るために,アメリカとは仲良くしたい。
しかし,核開発を放棄したら別の問題が生じる。
「核のない北朝鮮なんか怖くない」とアメリカが考えて,政権の転覆を図るかもしれないからだ。
だから一応,「現体制を保証する」という言質は得た。そんな約束は必ずしも信用できないが,
北朝鮮は地政学的な環境が(核放棄後に体制が崩された)リビアとは違うので心配していない。
オレ様の基本構想はこうだ(オジサンの妄想です)。
北朝鮮は,今後は経済発展に力を入れる。
そのために,まずアメリカ資本を導入する。誘致するのはもちろんトランプの息のかかった企業が中心だ。
たとえばトランプ傘下の企業が経営する牧場(あるのかな?)を誘致して,そこで牛を飼う。
北朝鮮の人民は貧乏だから国内では売れなくても,中国や日本でなら牛肉は売れるだろう。
何しろ人件費が安いから,価格競争力はある。
外貨を稼いで暮らしが豊かになれば,国民の不満も減る。
さらに,韓国との経済交流も盛んにする。もともと1つの民族だったと言えば,大義名分は立つ。
そういうことをすると,中国は黙っていないだろう。あいつらは,朝鮮半島が1つの国になっては困るからだ。
もしかしたら「アメリカ企業の進出をストップしろ」と言ってくるかもしれない。
そうなったら,「いいよ。その代わりに中国企業をうちへ持って来い」と言ってやる。
現状の北朝鮮は,経済制裁を食らったら(たとえば石油の輸入が止まったら)中国の支援に頼るしかない。
しかし地政学的に言うと,イニシアチブを持っているのはオレの方だ。
中国は,北朝鮮がアメリカ陣営に入ることだけは絶対に避けたいだろう。
それを逆手に取って,北朝鮮は経済的にアメリカグループと仲良くする素振りを見せる。
そうすれば中国もそれに対抗するだろう。つまりアメリカと中国に,北朝鮮への投資競争をさせるわけだ。
大国のパワーバランスの中でどう生き残るかを模索している国々は世界中にある。
オレの国も同じだ。しかし,最後に勝つのはアメリカでも中国でもない。オレ様だ。
…なんてな。
週刊文春に,ある女性ジャーナリストが「ストーカーとの700日間戦争」という連載をしている。
同時進行のルポであり,彼女の「戦争」はまだ終わっていない。
読んでいない人にはわからないだろうから,この記事を読みながら思ったことを簡潔に書く。
それは,男と女の感覚の違いだ。
読み物だから「演出」が混じっているのかもしれないが,それはここでは考慮しないことにする。
たとえば最新号では,ストーカー被害者である自分と,自分の弁護士(男性)とのやり取りが細かく書かれている。
そこには,たとえばこんな記述が出てくる。
トラブルの内容をろくに聞かずに前科如何で実刑になるかならないかだとか,名誉毀損についてだとか,
延々と法律の詳細を提示するだけで,私のトラブルを解決できると思っているのだろうか。
加害者がどういう人間なのか,どんな脅迫的なやりとりがあったのか,どんな加害行為があったかのかも,
ロクに聞かないのだから,私がいまどういう不安を抱えているのかも,本当にわかっているのかどうか。
こういう記事を読んで思ったのは,「この弁護士も気の毒になあ」ということだ。
被害者である書き手を責めるつもりはもちろんない。
しかし弁護士は,脅迫や加害行為のあらましを被害者本人から聞いてはいるだろう。
それ以上詳しいことを聞かないのはたぶん,必要以上に時間がかかる(と経験的に知っている)からだろう。
自分の仕事は法律に則って被害者の権利を守ることであり,被害感情を共有することではない。
被害者に共感できようとできまいと,被害者を守るのが自分の仕事だ。
自分の仕事に必要な情報は,本人からもう聞いた。あとは粛々と手続きを進めるだけだ。
―
普通の男なら,こう考える。しかし(偏見かもしれないが)女はそうではない。
端的に言えば,男は「筋を通すこと」を優先するが,女にとっては「お互いに共感すること」が最優先だ。
この違いは生物学的な本能に近い(と思う)。
このストーカー事件の弁護士も,被害女性の態度や事件の性格から考えて,具体的な話を細かく聞き始めたら
エンドレスになって(なぜなら女というものはそういう生き物だから),ほかの仕事に支障を来たす可能性が高い,
と思ったんじゃないのかな。同じことは,捜査に当たった警察官その他の男性関係者にも言える。
女性の筆致は「誰も私の気持ちをわかってくれない」というトーンが強い。それは文学としては面白いかもしれないが,
ジャーナリストとしてはどうなんだろうね?と,(ある種の)同業者としては思ったのだった。