今年は大きな仕事を抱えているため毎日多忙で,仕事場のパソコンに向かわなかったのは1月2日だけ。
2月10日(日曜日)は孫の1歳の誕生祝いをやるというので,チャリコでもいいからタイで祝ってやろうと思った。
で久しぶりの釣りに生名島方面へ行ったが,結果はボウズ。
あちこち回ったがミニ反転カゴでは生体反応がなく,かぶせでコブダイに2回切られただけだった。
夜は孫の祝い。
本人の右側にあるのは「一升餅(誕生餅)」を入れたリュック(通販でネームを入れたのを買える)。
一生食べ物に困らないようにという風習だそうだ。
実際にはまだどうにか歩き始めたところなので,1キロくらいの餅の入ったリュックを背負っては歩けない。
これは「選び取り」という占い。
バージョンがいろいろあるが,今回は電卓・お札・はさみ・箸・定規の5つを使用。
どれを最初に手に取るかによって,本人の才能や将来の職業がわかるという。
孫ははさみを選んだ。「職人・手先が器用」だそうだ。
しかし改めて思うに,子育ては大変だ。
赤ちゃん教室などではお母さん同士が育児のストレスをぶつけ合うというが,気持ちはわかる。
昔は大家族だったから母親は自分の親などに手伝いを頼めたが,母親と子どもが一対一では過酷すぎる。
まわりの人ができるだけ母親の負担を減らすように協力するのが,子どものためにもいいだろう。
それで思い出すが,子どもに関する事件は少しも減る様子がない。
最近では,こんな報道があった。
@千葉県で10歳の少女が父親の虐待で死亡した。
A山口県で高2の男子が自殺した。原因の1つは教師による「いじめ」だった。
この2つの事件について,私見を述べてみたい。
@(千葉の虐待死)について:
当事者以外の人たちが考えるべきことは,「誰が悪かったのか」という責任追及ではない。
「同種の事件をどのようにすれば防げるか」という今後の対策だ。
1つの案として,親のブラックリストのようなものを,住基ネットのように教育関係機関で共有するシステムを作ってはどうだろうか。
100点からの減点方式とし,一定の点数(たとえば50点)以下の親はそのリストに載せる。
減点は交通違反と同じように,悪質さの度合いによって点数化する。リストには親の過去の「違反」の履歴を載せる。
たとえば「児童相談所が子どもを保護した」は1回につきマイナス10点とする。
そして,ブラックリストに載った親に関しては,本人の個人情報の収集を一定の範囲内で合法化する。
たとえば親本人の自己申告またはマイナンバーから,勤務先の代表電話番号を登録する。
本人の点数に応じた取り扱い基準の例は次のとおり(点数が低いほど悪質度が高い)。
・50点〜41点:子どもの欠席が3日以上続いた場合,(たとえ病欠であっても)学校は家庭訪問を行い本人と面談する。それを拒否された場合は,児童相談所と協議の上,警察に協力を仰ぐ(一般人に対して一足飛びにこのような対応はできないが,ブラックリストに載ることがその予備段階となる)。親と電話がつながらない場合は,児童相談所から親の勤務先に連絡を入れる。児童相談所から親の勤務先に『本人と連絡をとりたい』という電話を入れる対応が一般化すれば,電話を受けた勤務先はその親がブラックリストに載っているとその時点で推定できる。そのことが親の虐待に対する一定の抑止力を持ちうる。
・40〜31点:上記の処置に加えて,両親に心理カウンセリング(あるいはテスト)の受験を義務付ける。その結果「子どもを虐待する因子が強い」と判定された親には,一定の期間その治療を受けさせる(費用は公費負担とする)。その治療を拒否したり途中でやめたりした場合は,減点を加算する。
・30〜21点:上記のすべての処置に加えて,子どもに週に1回程度の生活カウンセリングを受けさせる。校内ではなく,第三者機関(たとえば病院)の方が望ましい。そのカウンセリングの中で,親との関係がうまくいっているかどうかを子どもに報告させる。子どもが「親に時々虐待される」と報告すれば,親の減点が増える。また親には子どもにそのカウンセリングを受けさせる義務を負わせ,その義務を怠れば減点が増える。
・20〜11点:上記のすべての処置に加えて,学校その他の関係者と本人との連絡だけに使える情報端末(スマホなど)を子ども本人に無料で支給し,定期的に(たとえば1日に1回)本人に連絡をとる。連絡が取れないときは親に連絡する。それでも連絡が取れないときは警察に出動を要請する。
・10点以下:児童相談所が責任者となり,親と引き離して子どもをしかるべき施設に保護する(その権限を児相に与える)。一定の期間様子を見た後に,1週間ごとに自宅と施設を往復させて生活させる。その過程で「ずっと家にいたい」と子どもが言うようになれば,家に帰す。その判断には「子どもが親に洗脳されていない」ことの確認が必要なので,専門の心理カウンセラーなどの協力を仰ぐ。
これは一例にすぎないが,要するに大切なのは「みんなが守るべきルールを決める」ということだ。
今回の事件の1つの問題点は,千葉の児童相談所が「大丈夫だろう」と判断したことにある。
その判断が個々の部署や個人の裁量に委ねられている限り,今回のような事件の再発は防げない。
また,たとえば子どもを家に戻すかどうかで親と児相がケンカになったとき,親が裁判を起こしたら児相が必ず勝つという保証はない。
決められたルールに従うという建前があれば,児相の職員たちも安心できるだろう。
A(山口の教員のいじめ)について
検証委員会は,次の5点を教師によるいじめ(に近いもの)と認定した。
(1)全校生徒の前で名前を呼ぶ
(2)雑用の押し付け
(3)試験中の話しかけ
(4)対応に困るようなことを言う
(5)不必要に名前を連呼
これは,今後同種の事件が起きたときの1つの判断材料になるだろう。このような具体的な事例の積み重ねが大切だ。
それはさておき,そもそも今回の事件は,教師の個人的な資質によって引き起こされたのだろうか?
そうではないと思う。
教師というのは因果な商売で,個々の生徒の心情に対する高い感受性が必要だ。
しかし,感受性が強すぎると教師本人がノイローゼになってしまう。一般的に言えば「ほどほどの感受性」がないと教師は務まらない。
ただし,そこは本質的な問題ではない。自殺した生徒A君と,その担任教師Xとの間の関係を考えてみよう。
「教師Xは軽い気持ちでからかったのだろうが,生徒A君にはつらい経験だった。
A君の心の痛みをわかってやれなかったという点で,教師Xに大きな責任がある」というのは正論だ。
しかし,教師Xはおそらく他の生徒B君やC君にも同じようなことをしていたはずだ。
それでもB君やC君は自殺しなかった。つまり上記(1)〜(5)の行動は,それ自体に罪があるのではない。
教師とA君との「からかいに対する感受性」の強さが食い違っていたことが問題なのだ。
いじめの本質はそこにある。いじめは常に,双方のメンタリティの化学反応によって起こる。
いじめる側といじめられる側との間に絶対的な「資質」の違いがあるわけではない。
いじめっ子が気がつけばいじめられる対象になっていた,というケースが起こるのはそのためだ。
以上のことから,「教師の感受性を限りなく高めるべきだ」という発想では根本的な解決につながらない。
「生徒とコミュニケーションを取ろうとした努力の結果,生徒が問題を起こして責任を問われるのは嫌だ」と考える逃げ腰の教師を増やすだけだ。
より有効な対策は,言い古されたことかもしれないが,生徒からの「内部告発」を促すシステムを作ることだろう。
山口の事件の場合,クラスの全員がA君の心の痛みに気づかなかったということはないと思う。
A君をからかう友人や教師Xに対して「やりすぎじゃないか」と思ったクラスメイトもいたはずだ。
ただしその子たちはおそらく「おとなしい」「優しい」「気が弱い」タイプだろうから,自分の方が間違っていると考えがちだ。
そうした子どもたちの声を,本人を特定せずに吸い上げる投書箱のようなものを作るのが現実的だろう。
たとえば都道府県教育委員会のホームページに「いじめ相談室」のようなコーナーを設けて,メールを投稿させる。
投稿されたメールは非公開で,必要に応じてカウンセラーなどが対応する。
このようなシステムは既に稼動しているが,学校現場でどの程度周知されているのかは知らない。
少なくとも校内にポスターを貼るなどして啓蒙活動を行うことは必要だ。
自殺したA君のクラスメイトたちの中にも,「あのとき自分が声を上げていればた」と思った子もいるはずだ。
教師Xには確かに責任があるが,個人的な責任論を云々しても同種の問題を防ぐことはできない。
別の言い方をするなら,いじめっ子の「心」を「正しく」しようという発想では問題の解決にならない。
虐待もいじめもセクハラもパワハラも,人と人とが接する場面では必ず何らかの摩擦が起きる。
私たちが目指すべき目標は,「摩擦を起こさない」ことではない。
「摩擦の熱が強すぎて火事になる」という事態を防ぐためのセーフティネットを作ることだ。
火事にならない程度の摩擦に対しては,必要以上に神経質にならなくていい。
その管理を行う立場にある人たちには,危険の度合いを見積もるための高い危機管理能力が求められている。
目先の問題の事後処理にばかり目を奪われず,予防効果の高いシステムの構築を目指してもらいたい。