最終更新日: 2001/04/18

雑記帳 (趣味編-@)


 

● 2001/4/18(水) 河島英五に捧ぐ

¶ 河島英五。本名同じ。2001年4月16日,没。享年48歳。死因は肝硬変。

彼は一般には,いわゆるアダルト歌謡曲を歌う歌手,つまりは堀内孝雄ややしきたかじんなどと同類の歌手と思われているかもしれない。しかし河島英五の本質は,メッセージシンガーである。その詩は時に過激であり,前衛的ですらある。彼がソロデビューしたのはカープが初優勝した昭和50年のことだが,あまり印象には残っていない。彼の歌を好んで聴くようになったのは,35歳を過ぎた頃からだ。昭和50年当時に吉田拓郎は既にメジャーであり,河島英五のソロデビュー曲「てんびんばかり」も,拓郎の「イメージの唄」を彷彿とさせるこんな歌詞だった。

真実は  一つなのか

どこにでも転がって  いるのかい

いったいそんなものが  あるんだろうか

何も解からないで  僕はいる

そしてそれが  あるとしたら

何処まで行けば  見えてくるんだろう

そしてそれが  ないものねだりなら

何を頼りに  生きていけばいいんだろう

家を出て行く  息子がいる

引き止めようとする  母親がいる

どちらも  愛してる  どちらも  恨んでる

どちらも  泣いている

偉い人は  僕を叱るけど

その自信は何処から  くるんだろう

でももしも僕が  偉くなったら

やっぱり僕も誰かを  叱るだろう

(中略)

毎朝決まった時間  起きる人の

喜びは何処に  あるんだろう

電信柱に  小便ひっかけた

野良犬の悲しみは何処に  あるんだろう

うちの子犬は  とても臆病で

一人では街を  歩けない

首輪をつけると  とても自由だ

僕を神様だと思って  いるのだろう

拳を上げる人々と  手を合わす人々が

言い争いを続ける間に

ほら  ごらんなさい  野良犬の母さんが

かわいい仔犬を  産みました

母親が  赤ん坊を殺しても

仕方のなかった時代なんて  悲しいね

母親が赤ん坊を殺したら

気違いと言われる今は  平和な時

※ ごまかさないで  そんな言葉では

僕は満足  できないのです

てんびんばかりは  重たい方に

傾くに決まっているじゃないか

どちらももう一方より  重たいくせに

どちらへも傾かないなんて  おかしいよ

(※ くりかえし)

¶ こういう素朴なスタイルはいつの時代も一定の支持を得るようで,最近で言えばゆず・真心ブラザーズ・などもそうだ。もっとも昭和50年頃はまだアングラフォークの人気も根強く,フォークからニューミュージックへの過渡期だった。三上寛や友川かずきや遠藤賢司や斎藤哲夫や山崎ハコや森田童子などに比べれば,河島英五はまだアクの強くない部類の歌手だったように思う。

¶ その後彼はインドをはじめ世界各地を放浪し,日本国内でも多くのライブコンサートを行った。カラオケの普及で「酒と泪と男と女」「野風増」「時代おくれ」などの「大人の男」をテーマにした歌で人気を博したが,これらは彼の作品全体の中では主流ではない(時代おくれは作詞阿久悠・作曲森田公一)。恋愛の歌はあまりなく,社会的メッセージや自分の内面や自然との触れ合いなどをストレートに表現した歌が多い。宗教的な香りの曲もたくさん作っている。

この国では電車の温度を  上げろとか下げろとか

シルバーシートは若者たちの  恥じらいの無さを

週刊誌の車内広告も  お国の偉い方々も

合言葉は恥じらいを  捨てて生きよう

海の向こうではお腹を  すかせて倒れてゆく

裸の子供たちの  悲しい眼差し    (「12月の風に吹かれて」)

 

コーヒーカップに  角砂糖を

昨日と同じように  かきまぜてくれる  君がいて

日付を変えれば  明日になる

そんな一枚の絵がある

家族に囲まれて  照れている

自分自身を描きこめば  仕上がりだ

誰もが  そんな風に

一枚の絵を大切に  抱きしめて

人生が  誰のものでもないことを

いつしか忘れて  生きていく    (「仁醒」)

 

山の奥の  道のはずれの  小さな石の仏

何百年も昔から  時の流れを  じっと見ていた

子供を死なせた  母親が  涙で固めて  作ったか

戦で死んだ  男の為に  戦  うらんで  作ったか

女を犯した  哀れな男が  やむにやまれず  作ったか

生きてる事の  悲しみを  背負いきれずに  作ったか

だけどこれは  どこかのお金持ちが  作った物では  ないだろう    (「石仏」)

¶ 河島英五はテレビにもよく出ていたので,明るいキャラクターとしても人気があった。阪神大震災のチャリティーコンサートなどを通じて人格面にも高く評価されている。しかし,歌手の値打ちはあくまで歌にある。個人的に大好きだっただけに, あの歌がもう聴けないのは本当に悲しい。今カラオケに行くと,曲の入れ替えがものすごく激しい。若手の人気歌手でも,ちょっと前のヒット曲はすぐに歌本から消されてしまう。とりわけ最近の曲は,歌詞の内容があまりにも抽象的で毒にも薬にもならないものが多く,全然頭に残らない。そういう音楽体験を経て大人になる今の若い人たちは,中年になったときどんな歌をカラオケで歌うのだろうか。あの時代に生まれて,ああいう音楽に囲まれて育ったわれわれの世代は,幸せだったと思う。


 

● 2001/2/14(水) 吉田拓郎のこと

¶先週の土曜日の昼間に収録しておいたビデオを見た。番組は吉田拓郎の特集。大勢のミュージシャンが拓郎について語っていた。吉田拓郎という歌手は,広島出身(生まれは鹿児島)でもあり,我々の世代には格別の思い入れがある。その番組のBGMで流れた曲は,最後の曲(たぶん新曲)を除き,次の11曲。

@春だったね,A外は白い雪の夜,B君去りし後,C人生を語らず,D全部抱きしめて,Eああ青春,F英雄,G今日までそして明日から,H花嫁になる君に,I高円寺,J君のスピードで

このうちDとJ以外は,1970〜80年代(我々が高校生から大学生の頃)に発表されたもの。実際,拓郎の人気はその頃がピークだった。番組の中で徳永英明が言っていたように,「井上陽水のファンだと言えば『お前クラいな〜』と言われ,吉田拓郎が好きだと言えば友達が作れた」というような時代だった(アンチ拓郎もいたけれど)。

¶ぼくらは「歌声喫茶」(わかんねーか)より下の世代に当たる。しかし,今思えば信じられないが,高校3年生の頃うちのクラスでは「クラスの歌」というのを決めて,毎日ホームルームで歌っていた。曲目は2〜3週間ごとに変更する。「春の風が吹いていたら」など,拓郎の歌もよく歌われた。修学旅行ともなればバスの中でも歌いっぱなしで,「遠い世界に」や「心の旅」がみんな好きだった。高3の文化祭でのクラスの出し物は合唱で,「帰らざる日のために」(いずみたくシンガーズ)をコーラスで歌った。そういう環境で育ったので,就職する頃から流行りだしたカラオケにはすぐのめり込んだ。同世代の連中は多かれ少なかれ似たような経験を経ている。GSの好きな奴も洋楽やジャズの好きなやつもいるが,ほとんど全員が拓郎を聴いて育っていて,カラオケではすぐ合唱になる。拓郎のコンサートにも二,三度行った。40歳を機にツアーをやめると宣言した時は,最後のコンサート会場となるつま恋(静岡県)まで仕事を休んで行こうかと思ったが,結局行かなかった。数年後彼はツアーを再開したので,またいつか行くこともあるだろう。

¶番組ではほとんど触れられていなかったが,吉田拓郎という人の性格に言及するとなると,ぼくなんかは「TVコンプレックス」という言葉がまず頭に浮かぶ。彼はスターになりたくて広島から上京してナベプロの門を叩いたが,最初のテレビ収録で辛い目に会って以来「有名になってもテレビに出てやるものか」という屈折した感情を持つに至った,とよく言われる。あれはぼくが高校生か大学生の頃だったと思うが,拓郎が一度だけTVのドキュメンタリーふうの1時間番組に出たことがあった。スタジオでのリハーサルの場面で,彼は「三軒目の店まで」のバックコーラスの中の1人に,「そこ,音がずれてるだろ〜,やってらんね〜んだよ」とか何とか罵声を浴びせていた。スタッフに「ずれてませんよ」と諭されて,「ああ,そう」とか何とかごまかして,さっき怒鳴ったコーラスの人には詫びも入れなかった。ずいぶん傲慢な人だなあ,と思った記憶がある。当時彼はまだ二十代半ばか後半くらいだろう。それが今では,毎日が幸せなのだそうだ。丸くなったもんである。まあカープの衣笠も若い頃は清原ばりに遊びまくっていたのが,今では国民栄誉賞だ。やはり人間,いろんな面で満たされると人格も磨かれるのだろうか。それともやっぱり歳のせいか。

¶ともあれ,ぼくは男性歌手では吉田拓郎と河島英五,女性歌手では中島みゆきが一番好きである。拓郎の曲は車の中でもよく聞く。好きな曲だけ90分カセット2本にまとめてある。入っている曲は---(どれだけ知ってます?)

<1本目>@流星,Aこうき心’73,B知識,C明日の前に,D水無し川,E春を待つ手紙,F虹の魚,G今日までそして明日から,H人生を語らず,I外は白い雪の夜,Jああ青春,K暑中見舞い,L英雄,Mローリング30,Nペニーレインでバーボン,Oカンパリソーダとフライドポテト,Pイメージの唄,Q落陽

<2本目>@唇をかみしめて,Aいつも見ていたヒロシマ,B誕生日,C風になりたい,Dペニーレインへは行かない,E風の時代,F若い人,G7月26日未明,H大阪行きは何番ホーム,I旧友再会フォーエバーヤング,J冷たい雨が降っている,K海へ帰る,Lファミリー,MRONIN,Nパーフェクトブルー,Oマラソン,P吉田町の歌,Qアジアの片隅で  


 

● 2000/12/10(月) 手塚治虫のこと

 

¶手塚治虫のスペシャルアニメを数日前にテレビでやっていた。昭和30年代から40年代前半ごろに子供時代を過ごした身には,手塚治虫の名前はひときわ懐かしい。TVアニメも始まったばかりで,「鉄腕アトム」や「狼少年ケン」や「エイトマン」や「風のフジ丸」や「オバケのQ太郎」なんかを見ていたのが小学校低学年の頃だったと思う。しかし,こないだのアニメに出てきたアトムの声が,昔と同じだったのには驚いた。たしか清水なんとかさんという女性だったと思う。今何歳か知らないが,昔と全く同じ声だった。小さい頃からマンガはいっぱい読んでいて,大学生の頃に講談社から手塚治虫全集が発売開始になったときは,全巻そろえようと思っていた(金がかかりすぎて途中で挫折した)。劇画の出現以前のマンガ家は全員手塚治虫の影響下にあったと言ってよく,白土三平やつげ義春でさえ,初期には手塚風の絵を描いていた。しかし,マンガ家の全盛期というのはそう長くは続かない。だんだん惰性で描くようになって,ただ仕事をこなしているような感じになる。それは描線の変化に如実に現れる。手塚治虫は全集を出す際に多くの作品にかなりの手直しを加えているが,昔の絵とタッチがかなり違うので違和感がある。アニメ制作の費用捻出のために過大な仕事を受けていたらしいので,だんだん仕事も流れ作業的になったんだと思う。しかし作品そのものの質は高く,大人向けの佳作もたくさん残している。「火の鳥」や「ブッダ」は有名だが,「きりひと賛歌」「奇子」「ばるぼら」「IL」「人間ども集まれ」なんかも面白かった。ちなみにぼくの私的ベスト5は,@ジャングル大帝(講談社全集バージョンではない無修正の原版),AライオンブックスB0マンCどろろDW3(ワンダースリー)。ジャングル大帝は箱に入った広辞苑みたいな愛蔵版を持っている。ラストシーンまで読むと今でも胸が痛い。アニメでは,子供の頃放送されていなかった「リボンの騎士」を,中学の頃再放送で見られたのが嬉しかった。あと「悟空の大冒険」の絵も好きだった。宮崎駿は手塚治虫のアニメをボロクソに酷評しているが,「ある街角の物語」はいい作品だと思う。いくらでも書きたいが,もう時間がない。今日はここまで。  


● 2000/9/14(木) オリンピックに寄せて

¶オリンピックが始まったのにちなんで,私的に印象に残っているスポーツ・シーンを思い浮かべてみた。第1位は,カープ初優勝の瞬間!と言いたいところだが,実はその瞬間はあまり強烈な印象ではなかった。試合前から半分優勝したような気分になっていたので。当時ぼくは大学1年生で,東京に住んでいた。その日(1975年10月15日)は奇しくも19歳の誕生日だったが特に祝ってくれる人もなく(・・・),大学の授業をサボって後楽園球場のデーゲームをテレビで見ていた。当時は広島出身の友人がいなかったので,一人で球場に行くのはちょっと気がひけた。とにかくその日は一人で祝杯をあげ,翌日のスポーツ新聞は全部買った。大学へ行くとぼくが広島出身であることを知っている友人たちが祝ってくれて,その晩は飲みに行った。当時は感激したと思うが,もうあんまり覚えていない。当時はまだビデオがなかったので,繰り返して見ることができないせいかもしれない(でもカープ応援歌とラジオの実況の入ったテープは買った。柏村武昭の上手いとは言えない歌も入っている)。

¶野球で言うと,むしろ広商が江川の作新学院に勝った試合(1973)の方が印象深い。それと,江夏が胴上げ投手になったカープと近鉄との日本シリーズ。しかし,スポーツにまつわる強烈な印象と言うと,オリンピックに関係したものが多い。というわけで,第3位  --- ミュンヘン・オリンピック(1972)の男子バレー。当時,オリンピックの1年くらい前から「ミュンヘンへの道」というアニメ番組が放送されていた。大古とか森田とか実名の選手がオリンピックを目指して精進する,というストーリーだった。あそこまで盛り上げといて本番でメダルが取れなかったらさぞかしシラけるだろうに…と思っていたら,日本チームは本当に金メダルを取ってしまった。しかも準決勝は奇跡的な逆転勝ちで,事実の方がよほどドラマチックだったのをよく覚えている。この頃はバレーボール人気が絶頂の頃で,今から思うと隔世の感がある。

第2位 --- これもたぶんミュンヘン・オリンピックだったと思うが,体操(鉄棒)の塚原光男選手の「月面宙返り(ムーンサルト)」。当時のアナウンサーは,「木の葉落とし」とも言っていた。この技はその後たちまち普及して,つり輪や床運動でも使われるごく当たり前の技になった。しかし,あれを最初に見たときの衝撃はすごかった。人間にあんな動きができるのか,というのが理由の1つ。もう1つは,いったいあの技をどうやって練習したんだろうか,ということ。誰かが始めた後で真似るのは簡単だが,ナマコを初めて食べた人は偉い,というのと同じで,初めてチャレンジする人の創造力と勇気はすごいと思った。

第1位 --- これはもうダントツ。他に比べるものがない。今までにテレビで見た全部のシーン(ドラマも含めて)の中で,最高に感動した,と言ってもいい。それは,長野冬季オリンピック(1998)の,原田雅彦選手である。数日前のNHKの衛星放送で日本のオリンピックの歴史をつづった番組をやっていて,その中に長野五輪の映像も出てきた。やっぱり感動した。ビデオに取ってあるのも時々見るが,何度見ても感動する。挫折の後に栄光をつかむ筋立てといい,試合後の本人へのインタビューと言い,作り事では決して表現できない「事実の重み」が感動を呼ぶのだと思う。野球やサッカーは勝負が決まるのに時間がかかるので,その間ずっと興奮しているわけではない。それに比べると,陸上や水泳の短距離とかスキーのジャンプのように「一瞬で勝負が決まる」競技の方が,感動が凝縮して味わえるような気がする。今回のオリンピックでは,女子の水泳に一番期待している。  


 

● 2000/6/22(木)  最近読んだマンガについて

 

現在雑誌に連載中の作品の中から,私的ベストテンを選んでみた。昔は女流作家の作品もよく読んでいたが,今は買うのが恥ずかしいので男性作家オンリーなのがちょっと残念。なお,<  >内はジャンルです。

10位  カバチタレ(東風孝広:週刊モーニング)<社会派>

第9位  かってに改蔵 (久米田康次:週刊少年サンデー)<ギャグ>

第8位  ピアノの森 (一色まこと:月刊ヤングマガジンアッパーズ)<学園>

第7位  キャット・ルーキー (丹羽啓介:月刊少年サンデースーパー)<野球>

第6位  銀河戦国群雄伝ライ (真鍋譲治:月刊電撃コミックガオ)<SF>

第5位  弥次喜多in Deep (しりあがり寿:月刊コミックビーム)<不条理>

第4位  根こそぎフランケン (押川雲太郎:近代麻雀オリジナル)<ギャンブル>

第3位  20世紀少年 (浦沢直樹:週刊ビッグコミックスピリッツ)<SF>

第2位  ヘルシング (平野耕太:月刊ヤングキングアワーズ)<ホラー>

第1位  The World Is Mine (新井英樹:週刊ヤングサンデー)<社会派>

 

最後に,クイズをひとつ。「経済ってそういうことだったのか会議」の最後の方に載っていたジョークです。タイタニックが沈もうとしたとき,女性と子供を先に逃がそうということで,船長が男の乗客を説得して回る,というシチュエーション。最初にイギリス人のところに行って,「あなたはジェントルマンなんだから,女性と子供に先を譲りなさい」と言う。次にアメリカ人には「君はヒーローになりたくないか?なりたかったら女性と子供に先を譲りなさい」,次にドイツ人には「これはルールなんだから,守らねばならない」と言う。さて船長は,最後に残った日本人に何と言ったでしょうか?--- ちょっと簡単すぎましたか?答えは次回の雑記帳で。おっ,これいいな。毎回このパターンでやったら,リピーターが増えるかも・・・(笑)

クイズの答:日本人には「みんながやっているのだから,お前もそうしろ」と言った,です。  

 

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