最終更新日: 2010/6/20
雑記帳 (社会問題編-J)
◆ 2010/6/20(日) 東京都青少年健全育成条例の改正案に思うこと
現状は釣りに行く時間も全く取れないほど仕事が多忙で,本当はこんなことをしているヒマはないけど・・・
関心のない人は知らないかもしれないが,この件はネット上などでかなり盛り上がっている。しかしそこに
書かれている意見の多くは我田引水的,あるいは冷やかしの類の記事が多く,どうもすっきりしない。
そこで,この問題に関して多少は知識のある自分が「正論」を語ってみよう,という動機から書くものだ。
■この問題の概要
6月14日,東京都議会が青少年健全育成条例の改正案を否決した,というニュースが流れた。
都議会で知事が提出した条例案が否決されるのは12年ぶりで,都は再提出を目指しているそうだ。
条例改正案中,特に問題視されているのは次の記述のようだ。
非実在青少年を相手方とする又は非実在青少年による性交又は性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写することにより、
青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの
一言で言えば,「このような本は18禁にして,中高生には売ってはいけない」という規制をかけようとするのが,今回の条例案の大きな趣旨の1つである。
これと前後して,週刊少年ジャンプの最近の号に2週続けて,「(社)日本雑誌協会 人権・言論特別委員会」
名で,この条例案に対する次のような内容の反論が出ていた。
主に問題と考える点を列記すると
@18歳未満と判断される架空の人物の性を描いたコミック等を行政の恣意的判断で規制しようとしていること。
A現行の児童ポルノ法において,「児童ポルノとは何を指すのか」の定義が曖昧である点が問題視されているにも拘らず,それを踏襲した条例をつくろうとしていること。
B同じく国会で反対論が強かった児童ポルノの「単純所持」規制をそっくり取り込んだ本条例改正案は,別件逮捕,冤罪さえ招きかねないこと。
以上の理由により当委員会は,この条例改正の必要性を認めません。
■東京都の見解の要旨
「非実在青少年」を含む著作物にはアニメやゲームも含まれるが,ここではマンガに話を絞って考えてみたい。
1.東京都が出している資料を読むと,この条例改正案の背景には,「ある種のマンガ」を規制すべきだと
いう一部の委員の意見があると考えられる。
2.「ある種のマンガ」とは,「強姦等著しく社会規範に反する行為を肯定的に描写したもの」である。都の資料によれば,「レイプ」と「近親相姦」が特に問題視されている。(因果関係が証明されているわけではないが)
これらを肯定する内容のマンガを読むことによって,青少年が「こういうことをしてもいいんだ」あるいは
「こういうことをすると気持ちがいいんだ」というような誤解をするおそれがあり,それが青少年の「健全育成」
にとって有害だ,というのが,東京都の主張のおよその趣旨である。
3.一方この条例案は,(青少年を対象とするものだから)18禁(成人指定)のいわゆる有害図書は規制の対象外である。だから,18禁の本の中にどんな過激な描写があっても,この条例とは関係がない。
■東京都が問題視するマンガとは?
マンガ雑誌は,その読者層によって大きく次のようなジャンルに分けることができる。
<男性向け>
A.少年向けマンガ(例:週刊少年ジャンプ)
B.青年向けマンガ(例:ヤングマガジン)
C.一般成人向けマンガ(例:ビッグコミック)
D.成人指定マークつきのマンガ
<女性向け>
E.少女マンガ(例:りぼん)
F.レディースマンガ(例:ビーラブ)
G.BL(ボーイズ・ラブ)本
これらのうち少なくともDは,今回の条例とは関係がない。そのことと「レイプ・近親相姦を肯定するマンガはダメ」
という東京都の見解を重ね合わせると,次のことが言える。
●(条例案の条文のあいまいさはさておき)男性向けマンガ(A〜C)は,実質的に今回の「規制強化」の対象とは
想定されていない。なぜなら,A〜Cの中にはレイプや近親相姦を肯定するような作品が(ぼくの知る限り)まず
見当たらないからだ。(Dの中には山ほどある)
●では女性向けマンガはどうかと言えば,レイプ・近親相姦をテーマにした作品は,E〜Gのどの中にもある。ただしGはたとえば「男が男をレイプする」内容であるから,当局が言うような「マンガを読んで性犯罪が増える」
ようなことにつながる恐れはゼロに等しい。なぜなら,そのような(BL系)マンガの読者はほとんどすべてが女性で
あり,男はそんなマンガは読まないから影響を受けようがないからだ。
●つまり,今回当局が規制強化の念頭に置いていたのは,E・Fに属する「(当局に言わせれば)少女たちの性を堕落させる」マンガであったと推測できる.そのことは,ジェンダー論(ミーハー的に言い換えれば男女同権論)に
否定的な都知事の姿勢とも合致する.
●さらに言えば,F(レディースマンガ)は18禁ではないけれど,東京都は従来からFの多くを有害図書(18禁)に指定しているから,実質的にはE(特に「少女コミック」?)が,議論の槍玉に挙げられたのではないかと予想される。
■当局の主張の説得力について
たとえば「レイプを肯定するような内容はよくない」というのは,一般論としては間違っていない。同様に「暴力を
肯定するような内容」もよくないわけで,都の青少年育成条例には従来からそのような文面が含まれている。
しかし,「よくないと考える」ことと「規制する」こととは別問題である。レイプも暴力も違法行為だから,たとえば
「違法行為を賛美するような内容の作品は18禁とする」という規定を設けた場合,それ自体は決して不自然な
ことではない。しかし,「マンガに限ってはダメ」という注釈をつけたなら,それは不公平というものだ。
「違法行為を賛美するコンテンツはすべて,18歳未満の青少年の目に触れないよう努力する」という規定を
作るのなら,それに反論するのは容易ではない。しかし現実は,そうなっていない。誰でも見ることのできる
テレビドラマや小説にも,(レイプはともかく)暴力を肯定あるいは是認するような内容のものは多数ある。
そういう環境の中で「マンガの中の暴力だけはダメ」と言うのでは筋が通らないと思う。
■反対派の主張について
この条例改正案に反対する人々が最も問題視しているのは,「アウトかセーフかの判断の根拠があいまいだ」という点にある。それは事実だ。たとえば当局の資料では,ドラえもんのしずかちゃんの入浴シーンや,クレヨン
しんちゃんの尻出しなどはOKといった具体例まで書かれている。資料を読む限り,それらがOKな理由は
「(レイプや近親相姦などの)性的不道徳を助長するような内容ではないから」と読める。それなら条例の条文も
そう書けばよいものを,実際の文面は冒頭の赤字で示したとおり「みだりに性的対象として肯定的に描写する」
というあいまいな表現になっている。反対派は,この文面だと当局の恣意的な判断によって際限なく「アウト」の
範囲が広がるのではないか,と主張している。その主張は正しいと思う。
※邪推だが,都の事務方の苦労はわかる。過激な保守派に押されて条例改正案は出さないわけにはいかないが,世間の反発を受けるのは必至なので,言い訳用の資料をあれこれ出している,という図式だろう。しかしいったん
条例が成立してしまえば,現在出ている「補足資料」などは何の役にも立たなくなることは間違いない。
しかしぼくは,反対派の人々の大半は,「表現の自由」に関する重大な問題点を見落としていると思う。
以下,それを説明する。
■「表現の自由」を規制しているのは誰か?
まず,次の3点を指摘しておく。
@「表現の自由」は,表現者(マンガ家)本人に帰属すべきものである。
A現在のマンガ業界では,「表現の自由」にはある種の規制がかけられている。
Bそれは当局の規制ではなく,業界の「自主規制」である。
「週刊少年ジャンプ」に,「いぬまるだしっ」という人気ギャグマンガが連載されている。主人公は,下半身
まるだしの幼稚園児・いぬまるくんだ。今回の都の条例改正案が通ったとしても,このマンガがアウトと
判断される可能性はまずない(クレヨンしんちゃんと同レベルだ,という理由でセーフになる)だろう。
では,聞こう。この主人公・いぬまるくんが,男の子ではなく女の子だったら,どうだろうか?つまり,
下半身丸出しの幼稚園女児を主人公としたマンガが,少年ジャンプに掲載される可能性はあるか?
ということだ。その可能性は,ゼロと言ってよい。では,あるマンガ家が,「自分はそういうマンガを
描いて発表したいのに,なぜ男児ならOKで女児ならダメなのか?それはマンガ家である自分の
『表現の自由』に対する侵害ではないのか?」と出版社に対して主張したなら,出版社はどう答える
つもりなのか?あるいは,どのような言葉でそのマンガ家を説得することができるのだろうか?
マンガにおける表現の自由がマンガ家本人に帰属すると考えた場合,多くの人々は都条例に関する
対立の図式を「出版社とマンガ家が協力して(あるいは出版社がマンガ家をサポートして),表現の
自由を守るために当局と戦っている」というふうにとらえているかもしれない。しかし,実態は違う。
むしろ,マンガ家の「表現の自由」を縛る最大の敵は,行政当局ではなく出版社の方である。
そして,いぬまるくんの例が示すように,出版業界の「自主規制」には正当な根拠があるわけでは
なく,まさしく「恣意的」なものだ。だから少なくとも出版業界の人間には,「アウトかセーフかの
判断基準が恣意的だ」と当局を批判する資格はない。出版社側は当局に対して「表現の自由を
規制するな」と主張するが,その一方で自らが作家たちに対して「自主規制」を強要しているわけで,
これは要するにダブル・スタンダードである。
断っておくが,ここでは「出版業界は自主規制を全部撤廃して,マンガ家が好きなものを自由に
描く権利を保証すべきだ」と言いたいのではない。「自主規制の根拠が不明確」なことを問題視
しているのである。具体例を出そう。かつて,そのものズバリの「ザ・レイプマン」というマンガが
あった。みやわき心太郎という作家が,上記の分類で言えばC(一般成人向けマンガ誌)に当たる
リイドコミックに連載していた,レイプを肯定するような内容のマンガである。この作品が当時
東京都から有害図書指定を受けたかどうかは定かでないが,結果としてこの作品は,民間団体の
クレームによって休載に追い込まれた。出版社が「自主規制」したからではない。このエピソードは,
「出版業界の自主規制に任せておくだけで十分だ」とは言えないケースがあることを示している。
しかしそれは,出版業界だけの話ではない。業界の自主規制によって規律が守られるのなら,
密漁や不法投棄などは起こらないはずだ。「自主規制が甘いから,法律で縛るのだ」というのは,
どこの業界でもよくある話である。今回の条例改正案も,その図式の1つと言ってよい。だから,
ぼくは「条例改正反対派」の人々に全面的に与するものではない。むしろ彼らの主張に
反発を覚える側の人間である。
■成人指定マークさえつければ,何を描いても許されるのか?
この条例改正を議論した都側の人々のホンネは,たぶんノーだろう。しかし条例そのものは「青少年」
限定だから,結果として「成人指定された本の中にどんな描写が出て来ようと,当局は関知しません」
というスタンスを取っている。
条例の問題と切り離して上記のテーマを考えると,これは議論の分かれるテーマである。
たとえば成人向けの映画やビデオ,あるいはマンガの中に出て来る暴力や強姦の描写がほとんど規制
されていないことの背景には,「分別のある大人なら,こんなものに影響されて反社会的行動を取るような
ことはないだろう」という前提がある。しかし,同じ理屈はたとえば麻薬の売買や売春には通用しない。
需要と供給があるところで自然発生したこれらの経済行為が取締りの対象となっていることには,明確な
根拠があるわけではない。「社会全体に害を与えるリスクが高いと考えられているもの」は,その都度の
判断で,所持や取引が法律で禁止されるのだ。そしてその判断の基準は,時代や社会状況によって変動
しうる。タバコを見ればわかるだろう。分別のある大人なら,自己責任に任せておけばよさそうなものだが,
社会は喫煙家に対して「余計なお節介」の度合いをますます強めている。
だから,「成人向けの作品中ならどんな描写も許される(憲法で表現の自由が保証されているから)」
という主張は,決して万能ではない。「エロマンガは売ってもいいのに,麻薬を売ってはいけないのは
なぜなのか?どちらも同じ経済行為ではないか」という問いかけに答えられないからだ。
もう1つの問題点を挙げれば,「分別のある大人なら,マンガや映画に影響されて反社会的な行動を
取るようなことはない」という前提は,本当に正しいのか?という素朴な疑問がある。法律や条例の上では
18歳以上が成人と定義されるが,20歳前後の若い男がエロ本に刺激されて性犯罪を犯す,ということは,
市民感覚的に言えば「ありそうな話」である。因果関係を科学的に立証するのは,確かに難しいだろう。
しかし,だからといって何も規制しなくてよいのか?と言えば,「多少の規制は必要だ」と考える人も大勢
いるはずだ。ちなみにぼくも,「規制は必要」という立場を取る。規制の具体的な内容は後述する。
■「恣意的な判断」の排除は本当に不可能なのか?
条例改正反対派(=表現の自由擁護派)の人々に対してぼくが最も反感を覚える理由は,次の点だ。
「判断基準が恣意的だ」→「だから規制は(一切)すべきでない」
というのは,論理の飛躍である。
「表現の自由に対する規制は一切すべきでない」という立場から物を言うのであれば,彼らがまず
問題とすべきは,当局が業界に対して行う規制ではなく,業界内部で自分たちが決めている自主的な
規制の方である。一方,「基準が恣意的である」ことを問題視するのであれば,恣意的でない(誰が
見ても客観性のある)判断基準を作ろうと努力するのが,合理的な思考回路ではないだろうか。
以下に,ぼくが考えた「合理的判断基準」の具体案を示す。本件は児童ポルノ法との関連も指摘されて
いるので,それにも目配せしている。また,先に述べた「成人向けなら何でもあり,でよいのか?」という
問題点もカバーしようとしている。話を単純化するために,ここでは対象をマンガ作品に絞っている。
●規制案の性格
@以下に掲げる規制案は,青少年健全育成条例とは無関係である。
A以下の内容で,行政・出版業界・作家協会の3者の代表が合意する旨の協定を結ぶことを
想定している。
B紳士規定だから,罰則は設けない。
罰則がなければ実効性がないのでは?と思われるかもしれないが,この合意がもしも破られるとしたら
それは出版業界や作家の責任だから,今度はもっと厳しい条例や法律が制定されても文句は言えなく
なる。そのリスクを承知で協定を破るのなら,それはそれでよいのではないか。
●規制案の具体的内容
@すべてのマンガ雑誌を,次の2種類に分類する。
(A)幼児〜青少年(高校生以下)向け雑誌
(B)成人向け(18禁)雑誌
A上記の分類は,出版業界と行政側の代表が選出した委員会が定期的に行う。
(新雑誌が創刊された場合はその都度行う)
これに伴い,各都道府県による「有害図書」の指定は廃止する。
B(A)に分類された雑誌上では,暴力や強姦など反社会的行動を肯定する
内容の作品を掲載しないよう配慮する。(出版業界・作家の努力規定とする)
Cすべての雑誌に,次の規定を適用する。
「(男女を問わず)陰毛のない局部を描いた人物が登場する
すべての商業作品を『児童ポルノ』とみなし,販売を禁止する」
Dその代償として,BC以外の「規制」は(出版業界の内規も含めて)作家に
対して一切設けない。(ただし,作家を使うかどうかの判断は出版社側にある)
この案の趣旨を,現在議論の的になっている都条例改正案と比較して説明してみよう。
●この案では,(都条例とは違って)(A)タイプの雑誌に対して「性的」うんぬんの規制は課さない。
●一方で,(B)タイプの雑誌に対してはCの規制を新たに課す。これは明らかな規制強化である。
●要するにこの規制は,「児童ポルノ」と「青少年に対する犯罪の肯定」を規制する性格を持つ。
以下の説明では,Cの規制を仮に「ロリコン規制」と呼んでおくことにする。少し補足説明をしておこう。
@小説などの文章は規制の対象にならない。
A「陰毛のある局部」の絵は問題視しない。ただし,裏ビデオを絵で表現したようなものはアウトだ。
Bその種の作品の販売は禁止するが,所持は禁止しない。個人が既に持っているものを処分しろとは言えないし,趣味で描いて自分で所有したり,友人同士でやり取りするものまで規制するのは
現実問題として無理だから。
C(A)に対する規制において,「反社会的行動を肯定する内容」であることが疑われる作品が
出てきたときは,出版界・作家・行政の三者の代表によって構成される審査委員会で議論する。
(それによって,この問題に対する世間の理解も深まることが期待できる)
(A)タイプの雑誌に掲載されたマンガの中に,都が言うような「みだりに性的対象として肯定的に描写する」
ような内容の作品があった場合,それが「反社会的行動を肯定する」内容でない限りセーフとなる。だから
ジャンプに少し前まで掲載されていた「とLoveる」のような,昔から少年誌によくあるお色気マンガは全部
セーフとなる。一方,少女雑誌に載っている近親相姦を賛美するような作品は,やはりアウトにすべきだろう。
最近は殺人ゲームを描いた作品が流行しているが,これはセーフでいいだろう。読者が真似をするには
現実的なハードルが高すぎるからだ。「青少年に悪影響を与える」かどうかは,それぞれの作品が持つ
リアリティに左右される。その個別の判断は,出版社や作家自身が行うほかはない。最も大切なのは,
都道府県がそれぞれの(委員の)判断で有害図書を指定する現行のシステムを,関係者たちの代表が
協定を結ぶ形に改めることである。当然,そこで決まった協定を守らない出版社や作家は,グループ内で
それなりの処分を受けることになる。そういうシステムを作り上げない限り,行政側・出版サイドの双方に
おいて,「恣意的判断」がいつまでたっても無くならないだろう。
■「ロリコン規制」の趣旨
この規制案は,「写真や映像と同じレベルの規制を,絵にも適用する」ことを目的としている。
そもそも現在,日本が児童ポルノの巣窟とされているのは,行政側の「失政」に端を発している面がある。その点で,日本はかつて鯨油目的でクジラを獲りまくって個体数を激減させ,今ではクジラの保護を
主張している米国などの西欧諸国を批判する資格はない。
具体的に言おう。オレらが思春期の頃,女性のヌード写真にアンダーヘアはご法度だった。ヘア論争は昔からあり,一方でヌード写真集を見たい(出版したい)いう男の性も,当然昔から存在した。
その狭間に咲いた小さな花が,「12歳の神話」という少女ヌード写真集である(ウィキペディアで検索できる)。
初版は1969年だから,まさしくオレらが12〜13歳の頃だ。当時はそんな本の存在は知らなかった。
あくまで想像だが,写真家はともかく出版サイドには,「ヘアを出すのがダメなら,ヘア無しならいいんだろ?」
という思惑があったはずだ。そして彼らの思惑通り,その後ロリコンブームが規制強化によって終焉する
1990年代前半まで,日本の書店にはヘア無し・局部丸出しの少女ヌード写真集が並ぶことになる。
これと前後して,ヘアヌードが解禁される。当初は篠山紀信・宮沢りえの「サンタフェ」(1991年)が大ヒット
するなど話題を読んだが,今ではヘアが写っているからという理由で興奮する男性はほとんどおらず(と思う),
逆にヘア無しの成人向け作品(違法な児童ポルノから日本の大人向け書店で普通に買えるマンガ本,
あるいはエロゲー)が日本から世界に向けて発信され,それが世界の心ある人々のヒンシュクを買っている。
要するに,こういうことだ。
@昔は,当局がヘアヌードを認めなかった。
→A「じゃあヘアなしならOKだろ?」という発想が,ロリータ写真集ブームが引き起こした。
→Bしばらくの間,当局はこれを黙認した。それにより,「ヘア出しはダメ,ヘア無しならOK」という時代がしばらく続いた。
→Cこれがロリコンブームの原動力となり,その流れが現代の日本発の児童ポルノに直結している。
→Dいつの間にか規制当局の見解は180度変わり,現在は「ヘアありはOK,無しはダメ」となっている。
この経緯を一言で言えば,
ヌード写真集における陰毛の扱いを当局が誤ったことが,児童ポルノの発端だ
ということだ。その文化史的視点をふまえて,「写真・映像」に対する規制の基準を「絵」にもスライドする
ことには,合理的説得力があるはずだ。
写真集の場合,セーフかアウトかの判断の分かれ目は,実態としてモデルの実年齢にあるのではない。その筋では有名な,力武靖という写真家がいる。彼は2009年9月に,わいせつ図画頒布の疑いで警視庁に
逮捕された。詳しいことはウィキペディアにも書いてないのでわからないが,おそらくはアレだろう。
この人は海外でも有名なロリータ写真集の大家だったが,少女写真の規制が厳しくなってからは幼女を
モデルにした作品は出版できなくなった。そこで彼は,ロリータ顔の成人女性モデルの下の毛を剃って,
擬似ロリータ写真集を出していたらしい。たぶんそれが引っ掛かったのだろう。つまり,「成人の毛を
剃りました(だから『児童』ポルノではありません)という理屈は,写真集の世界では言い訳にならないのだ。
さらに言えば,「この子は生まれつきパイパンなんです」という言い訳も,まず間違いなく通用しないだろう。
ならば,同じ理屈をマンガにも当てはめ,「この子は見た目は幼稚園児みたいですけど,実年齢は20歳
なんです」とか,その他「毛を描かないための言い訳」を絵においても一切認めないことにしても,何の
不都合もないはずだ。さらに言えば,今回東京都は「しずかちゃんのお風呂シーンはOK」と具体例まで
出しているが,その言い方はいささか曖昧である。なぜOKなのかをつきつめて考えれば,それは,
ドラえもんのあのマンガでは「しずかちゃんの局部が露出していないから」だ。作品自体が反社会的で
ないから,という理由ではない。いぬまるくんが女児だったらアウトだろうと予想される理由も,そこにある。
そういうマンガが実際の少年誌に出てこないのは,(たまたま)雑誌側が自主規制して結果にすぎない。
「出そうと思えば出せる」という状況を放置しておくことの方が深刻な問題なのだ。
ロリコン規制の大きなメリットは,「毛があるかないか」という基準には,「表現の自由擁護派」が懸念
しているような「恣意的判断」が入り込む余地が全くない点にある。誰が見ても一目瞭然だからだ。
具体例を補足しよう。かつて「いけない!ルナ先生」(上村純子)というマンガが発禁(正確に言えば
成人指定)処分を食らったことがあった。掲載誌は月刊少年マガジンという,普通の少年誌だ。
ボーダーライン上にあるマンガは,「どこまでなら許されるか」が問題になる。このマンガに出てくる
ルナ先生は一応レオタードをはいていて,当然それが股間に食い込んでいるわけだが,ロリコン規制に
照らせばこのマンガはセーフになる。なぜなら,現実のモデルにマンガと同じポーズを取らせた写真集を
作ったとしても,それが発売禁止になるとは思えないからだ。ここで「写真と絵の整合性」が保たれる
ことになる。裏返して言うなら,現在の東京都の主張に照らしても,「ルナ先生」は成人指定をすべきでは
なかった。なぜなら同作品はただのお色気マンガであり,レイプや近親相姦のような性的不道徳を助長
するようなものではないからだ。この作品を処分の対象としたのは,まさに当局の「恣意的判断」による。
ロリコン規制のもう1つのメリットは,「世間一般の常識に合致する」という点にある。しつこいようだが,「見た目が幼稚園児でも設定年齢が大人ならOK」という東京都の説明には,いくら何でも無理がある。
その無理が生じた理由は,「子供と大人」の線引きのラインを明確にしなかったからである。ロリコン規制は
その点が明快だ。登場人物の想定年齢とは関係なく,「毛があれば大人,なければ児童」とみなせばよい
のである。その方が一般常識にかなっており,少女写真集が発売禁止になっている現状にもマッチする。
現実のマンガには,体型は大人でも毛のない人物は山ほど出てくる。それらはすべて,規制の対象となる。「表現の幅が狭くなる」という反論はあるだろうが,それによって大きな打撃を受けるのはアダルト向けの
いわゆるロリコン漫画だけであり,たとえば少年ジャンプやヤングマガジンのような一般向けマンガ雑誌の
表現が今以上に規制される恐れはほとんど無い(しかし多少はある。これについては後述)。
「毛」の話になると,いわゆる「わいせつ論争」を思い起こさずにはいられない。大島渚監督の「愛のコリーダ」は特に有名だが,「わいせつ」の定義は時代とともに移り変わっており,
今では「毛が見える=わいせつ」と考える人はほとんどいない,と言ってよいだろう。ある意味で,普通の
大人の常識に近づいた,と言っていい。一方で,「毛のない局部の露出」に対する世間の目は,(規制の
強化と児童ポルノ批判の高まりに連動して)20年前に比べるとはるかに厳しくなっている。「わいせつ」
ではないかもしれないが,「出してはいけないもの」という認識が,おおむね社会の中で定着しつつある。
しかしそれはあくまで写真や映像の中での話であって,マンガなど二次元の世界ではまだ野放し状態だ。
そのギャップは問題視しなければならないし,いずれ必ず問題になるはずだ。大きな流れから言えば
今回の東京都の条例改正案は,その流れを先取りしたものだと言えるだろう。しかしロリコン規制は
青少年育成という狭い目的ではなく,児童ポルノ根絶という大きなテーマの中で論じられるべきもので
あり,今回の東京都の条例とは切り離して考えるべきだと思う。
参考までに触れておく。この規制案が仮に罰則付きで適用されたら,どんな人たちが困るだろうか?
それを考えることで,この案の実利主義的価値が見えてくる。
「陰毛のない局部を描いたものは全部児童ポルノだからアウト」という規制を厳格に適用するとき,とりあえず困るのは次の業界の人たちだろう。
@アダルト向けロリコン漫画の描き手および出版社
Aいわゆるエロゲーを制作・販売する会社
ただし,Aについてはよくは知らない。エロゲーをやったことがないからだ。しかし想像はできる。どこまでボカシが入っているかは知らないが,たぶん大半は無毛なんだろう。知らない人は「毛があれば
セーフなんだったら,毛を描きゃいいじゃん」と思うかもしれないが,そうはいかない。実際に毛を描いて
しまったら,今流布しているアダルト向け美少女マンガやエロゲーの大半が,おそらく商品としての価値を
ほとんど失うだろう。それだけ,この種の商品に反応する大半の男にとって,「毛がないことの価値」は
大きいのだよ(笑)。ついでに言うと,腐女子御用達のBL本も,全く見たことがないから知らない。
無毛の美青年が出てくるとは想像しづらいが,(写真集と同様に)毛があろうとなかろうと局部丸出しなら
どっちみちアウトだ。
■「ロリコン規制」の社会的意義
物事は,ゼロか100かではない。たとえば「国民総背番号制には賛否両論がありますが,あなたはこの制度をどう思いますか?」と問われたら,「この制度の導入は,社会全体にとってのプラスとマイナスの
どちらが大きいだろうか?」と誰でも考えるはずだ。マンガへの規制も,それと同様の観点から考えねば
ならない。問題は,ある種の「規制」を強化することが,社会全体にとってメリットとデメリットのどちらが
大きいか?ということである。ぼくは,「毛のない局部の露出は(たとえ絵であっても)アウト」という規制を
強化することは,「表現の自由の制約」あるいは「出版業界への打撃」というマイナス面を補って余りある
利益を,日本という国全体にもたらすと思っている。
現在,日本からは,マンガ・アニメを中心とするさまざまな若者向けコンテンツが世界中に発信されている。上海万博でもセーラームーンのコスプレが人気を集めていた。しかし,おそらく世界には,こうした日本製
ソフトの一部に対して眉をひそめる人々が大勢いるものと思われる。アニメで言えば,ドラゴンボールや
セーラームーンや,あるいは「らきすた」や「あずまんが大王」はセーフでも,涼宮ハルヒやドクロちゃんや
ぷにぷにぽえみい(知らない?)のような,ボーダーラインに近い微妙なものも数多く輸出されている。
しかしこれらは「毛」の基準は完全にクリアしているので,そこまで規制する必要はない。問題は,誰が
見ても「児童ポルノ」としか言いようのない代物が,そこに混じりこんでいる点にある。具体例はいくらでも
挙げられるが,誰も知らないだろうからここでは省く。どこかで線引きをしてそうした犯罪まがいのソフトを
「はじき出す」作業をしないと,マンガやアニメの輸出が増えれば増えるほど,日本文化,ひいては日本人に
対する諸外国の評価が下がっていくような気がするのである。「表現の自由を侵害する」などと,机上の
空論を語って現実の問題をもみ消そうとしたところで,それはある種の「延命措置」に加担しているに
すぎないことに,供給者側は気づかねばならない(というか,実際にはそんなことはわかっちゃいるのだが,
金勘定の方が優先してきれい事を言っているだけだろうという疑いも濃い)。これがぼくの「正論」である。
最後に,付け加えておこう。「男女を問わず,毛のない局部はダメ」という規制を設けたら,いぬまるくんはどうなるの?と疑問を持つ人も当然いるだろう。この作品では,主人公・いぬまるくんの下半身が丸出しで
あることがキャラ造形の重要な一部になっており,彼に半ズボンをはかせたら作品の面白さが下がるんじゃ
ないか?あるいは,あれを児童ポルノと言うのは常識的にムリじゃないか?という意見も,当然あるだろう。
しかし,たとえ男子の幼稚園児でも,チンチン丸出しはアウト,という基準を適用すべきだとぼくは思う。
それには,大きく言って3つの理由がある。いぬまるくんには,涙を飲んでパンツをはいてもらおう。
@規制全体の整合性を保つため。(男児はセーフで女児はアウトという修正を施すことは,メリットよりもデメリットの方が大きい)
Aたとえ幼稚園の男児でも,局部丸出しの写真集の発売は認められないはずだから(ニーズはあると思うが),それとの整合性の観点から絵に描くことも認めない。
B日本では昔から「男児の裸は大目に見る」傾向がある(かつてはテレビCMにも局部を露出した男児が映っていた)が,今後は男児も女児も同等に扱う傾向が強まると予想されるから。
補足して言うと,ロリコン規制を適用するとき,一番問題になるのは「同人誌」およびそのネット販売だろう。基本的には,同人誌即売会での販売までは規制しなくてよいと思う。趣味の延長だからだ。ただ今日では,
プロの漫画家が商業誌には描かずにネットでダイレクトに自分の作品を販売するケースが多く(挙げれば
きりがないが,たとえば後藤寿庵や真鍋譲治や水村かおる),その大半はロリコン系のアダルトものである。
当然,「毛」の規制に引っ掛かるものばかりだ(と思う。買ったことはないから知らない)。これらは取締りの
対象にはなると思うが,現実にそれが可能か?となると難しい面があるだろう(これだけ規制が厳しくなっても
児童ポルノがなくならないのと同様に)。それでもしかし,ロリコン写真集が規制強化で書店や国会図書館から
姿を消したように,「毛のない局部の絵は一発レッド」という規制を広めることによって,「そういう絵を描いて
売るのは犯罪だ」という社会的合意をより形成することが,児童ポルノ追放の一つのステップとして,大きな
意味があるとぼくは思うのです。どうですか,皆さん?