この記事の本論は,後の方に出てきます。最初はその解説です。
この記事を書こうと思ったのは,安保法制をめぐる現在の社会状況に対して,1つの問題を感じるからです。
現状を一言でまとめるなら,「情念と情念の戦い」と言ってよいでしょう。
一方は,安倍総理の個人的な情念。もう一方は,「戦争反対」という多くの人々の情念です。
世の中がこういう対立の図式の中で動いていくのはままあることであり,それ自体は悪いとは思いません。
しかし,これからの未来を背負っていく子どもたちをこの状況にダイレクトに触れさせることは,よくないと思います。
たとえて言えば,車が来なければ赤信号を無視して道路を渡る(ことがある)大人は少なくありません(私もそうです)。
しかしそんな大人でも,もし信号機の前に子どもが立っていたら,普通は信号無視をしないはずです。
現在「情念と情念の戦い」を繰り広げている大人たちは,いわば赤信号を無視して道路を渡っています。
物事を決めるときは,話し合い,つまり(理性に基づく)議論がベースであるべきです。
たとえ現実の物事がそういう決まり方をするわけではないにしても,子どもたちに対してまさか「世の中の多くの決定は
大人の金儲けのための手段であり戦いなのだよ」と教えるわけにはいかないでしょう。教育的配慮は必要です。
そういう観点から見るとき,次のような「反戦活動」のありかたに私は強く反対します。
「日本にはかつて大きな戦争があり,大勢の人が死んだ。戦争はこわいものだということを子どもたちに伝えたい。
その恐怖感が,戦争に反対する気持ちにつながる。みんながそういう気持ちを持てば,戦争は起こらない。」
現在安保法案に反対している多くの人々の心の奥には,このような「反戦思想」があるように私には思えます。
しかしよく考えてみると,これは「思想」などと呼べるようなものではなく,単なる「情念」(=戦争への恐怖)です。
このような「情念」を社会に広めようとすることは,「反知性主義」を広めようとするのと同じです。
いわゆる愛国主義も,上記のような反戦論も,理屈で物を考えようとせず,あらかじめ絶対的に正しいと規定された
価値観に帰依しなさいと強制する点では,まさに宗教そのものと言ってよいでしょう。愛国主義者にとっては「国家」が,
反戦論者にとっては「戦争反対」がイエス・キリストに当たるわけです。これは私の勝手な想像ですが,愛国主義を謳う
人々の多くは,自分たちの活動が大衆を「洗脳」することにつながるという自覚を持っているのではないでしょうか。
一方,反戦主義者たちは,自分たちの「反戦思想」という情念が大衆を洗脳することにつながるという自覚を,果たして
どれだけ持っているでしょうか。勘違いされないように補足しますが,私も戦争にはもちろん反対です。私が問題視して
いるのは,反戦思想家たちの大衆,とりわけ子どもたちへのアプローチのしかたです。私たち大人は,自分たちが
正しいと思う価値観が子どもに正しく伝わるよう(そういう意味では教育自体が洗脳ですが),適切な方法で子どもを
教育しなければなりません。たとえば民主主義。たとえば順法精神。たとえば人を思いやる気持ち。感情に訴えることも
教育には必要ですが,そればかりに頼ってしまうと「物を理屈で考えることのできない子ども」が育ってしまいます。
「戦争はこわい。だから戦争には反対」−そういうレベルでしか戦争をとらえることのできない大人が,いわゆる
知識人の中にさえ大勢いること自体,現在の教育が望ましい成果を達成していないことの証拠です。
ただし,再確認しますが,大人が理屈を無視して一時的感情や個人的損得勘定で行動することを,私は批判しません。
いい悪いを論じたところで意味はありません。それが現実ですから。しかし,子どもの教育という点については,
少しでも望ましいと思える方法があるのなら,それを追求するのが大人の責任ではないでしょうか。
子どもの気持ちになって,考えてみてください。
「戦争はこわい。だから君たちは戦争に反対しなさい」−
あなたが子どもなら,こう言われて納得しますか?
また,自分の子どもが,この言葉に「はい,わかりました」と納得するような人間であってほしいですか?
私は(今でも覚えていますが),子どものころ上のような言葉に納得しませんでした。
また,自分の子どもや子孫には,「はい,わかりました」という答えだけで済ませてほしくはありません。
私は,自分が子どものころに感じた次の思いを,すべての子どもたちにも持ってもらいたいと思っています。
「みんなが戦争に反対なら,なぜ戦争は起こるの?」
この思いこそがいわば知性の萌芽であり,まっとうな社会人になるための重要なプロセスです。
現在「反戦論」の立場から安保法案に反対している人々は,この素朴な疑問にきちんと答えてください。
私は,多くの子どもが持つであろうこの疑問に対して,彼らが納得できるような説明をしてやることが,
真の「平和教育」だと思います。その努力をしないで,「戦争は悪い。だから反対すべきだ」と教え込むのは,
ただの洗脳であり,一種の宗教活動です。そのようにして育った子どもに,私のたちの多くが正しいと認めて
いる「きちんと物を考える」という思考習慣が身につくとは私には思えません。
以上が,本論に対する前置きです。以下の記事は,小学校の高学年くらいの子どもでもわかるような言葉で,
「戦争と平和」を子どもにこう教えてはどうかという,私なりの1つのアプローチです。
ただし,以下の記事に一定の賛同が得られたとしても,これを学校で教えることはできません。
あちこちの「地雷」を踏みまくることになるからです。
まっとうなことを学校で教えることができないのだとしたら,その責任は私たち大人にあると言えるでしょう。
◆
子どもにもわかる戦争と平和の話
戦争は,こわい。たくさんの人が死に,家も学校もなくってしまうこともある。それはもう言うまでもないよね。
じゃあ,戦争はなぜ起こるんだろう?
これについては,いろんな説明をする人がいるし,すべての戦争が同じ理由で起こるわけでもない。
だから,すべての戦争の理由を1つの言葉で短くまとめることは難しい。
これから君たちに話すことは,戦争が起きる主な背景や理由を,できるだけシンプルにまとめたものだ。
ただしこれも,多くの人が言ういろんな意見の1つにすぎないということは頭に入れておいてほしい。
まず,現在起きている戦争について考えてみよう。
現代の戦争には,おおまかに言うと「国と国の戦争」「内戦(国の中での争い)」「テロ攻撃」の3種類がある。
国と国の戦争は,現時点で大きなものは起きていない。わりと新しい戦争には,アメリカがイラクを攻撃した
湾岸戦争などがある。内戦は,世界中で起きている。テロ攻撃で有名なのは,2001年9月11日にアメリカで
起きた「同時多発テロ」だね。ハイジャックされた飛行機が当時世界で最も高いビルだったニューヨークの
世界貿易センタービルに突っこんで,大勢の死者が出た。小規模なテロ攻撃は世界中で日常的に起きて
いて,これからは日本でも起きる可能性が十分ある。
そこで,そうした3つのタイプの戦争が起きる理由を考えてみよう。まず,1つ目の理由だ。
戦争はしばしば,民族・宗教の対立によって起こる。
世界中にはいくつかの大きな民族のグループがある。昔は「白色人種」「黒色人種」「黄色人種」という
呼び方もしていたが,肌の色で人間を分けるのは差別的だということで,最近は公にはあまり使わない。
ただ現実にはそういう差別は今でもあって,たとえば西洋人の中には「白人>黄色人種>黒人」という
序列を心の中に持っている人も少なからずいる。民族が違えば宗教も違うことが多い。その代表例が,
キリスト教とイスラム教の対立だ。アメリカやヨーロッパにはキリスト教を,西アジアにはイスラム教を
信じる人が多い。両者は人類の歴史が始まった頃から争っている。
また同じ国内に違う民族が共存している場合も,内戦が起きることがよくある。
「その理由で起こる戦争は,どうやったら防げるんですか?」と君たちは思うよね。
残念ながら,当事者たちがそうした戦争を防ぐことはまず不可能だ。民族や宗教の対立は,理屈じゃない。
感情の問題だ。「相手が憎い」という感情の前には,どんな理屈も通じないだろう。だから,そうした戦争を
防いだりやめさせたりするには,当事者以外の力に頼るしかない。たとえば国連軍とかね。国連というのは
世界中の国が集まった生徒総会のようなもので,みんなで話し合って問題を解決することを目指している。
軍隊も持っているので,国同士の戦争や内戦が起きたら国連軍が間に入って仲直りさせるという役目を
することもある。
これを日本に当てはめると,今から70年前の1945年,つまり太平洋戦争が終わった年を境にして,状況が
大きく変わったことを知っておこう。それ以前は,日本人のほとんどが「国家神道」という宗教を信じていた。
キリスト教の神様がイエス・キリストであるように,国家神道の神様は天皇だった。国は,この宗教を使って
学校教育を行っていた。しかし戦後は新しい憲法によって,政治と宗教を切り離すことになった。
公立の小学校や中学校は国民みんなが払った税金で成り立っているから,その税金を特定の宗教の
ために使ってはいけない。だから,国家神道やキリスト教を学校で教えることはできない(私立学校ならできる)。
その結果現代の日本人は,世界でも珍しいくらい「神を信じない」国民になった。宗教が自分の生活と全く
関係のない人が圧倒的に多い。ちなみに外国では学校で宗教を教えることが多く,キリスト教を信じる人が
多い国(たとえばアメリカ)では「神様のおかげ」とか「神様の罰」のような考えをする人が多い。
じゃあ,なぜ70年前の新憲法で,日本は学校で「国家神道」を教えることをやめたのだろう。
当時の日本は戦争に負けて,アメリカからむりやり新しい憲法を押し付けられた,と主張する人たちもいる。
たとえそうであったとしても,なぜアメリカは新憲法では人々を宗教から切り離そうとしたのだろうか。
アメリカ人だって学校でキリスト教を習っているのなら,日本人が自分たちの宗教を習ってもいいはずなのに。
実はここに,戦争の起こる理由を考えるための大切なヒントの1つがある。
君たちに覚えておいてほしい1つめのことは,これだ。
宗教は,戦争をやりたい人たちに利用される。
わかりやすい例として,「イスラム国」を挙げよう。2人の日本人がイスラム国でつかまって殺された
ニュースを覚えている人も多いだろう。彼らは「自分たちは正しいことをしている」と思っている。
彼らに言わせれば,自分たちの行動は「(イスラム教の)神様の意志だ」ということになる。
もちろん,彼ら以外のイスラム教徒は,そんなことは間違いだと言っている。
神様が人殺しを命令したなんて,普通に考えればおかしいとわかるよね。
結局彼らは,自分たちのやった悪事の言い訳として,神様[宗教]を利用しているだけなんだ。
「オレが悪いわけじゃない。神様に命令されたんだ」−こんな理屈が通るなら,どんな犯罪でも許されてしまう。
太平洋戦争で,国家神道はそういうふうに利用された。
多くの国民は,「神である天皇の命令」という口実で,戦争に行ったり協力したりした。
実際は,戦争をやりたい人たちが(昭和)天皇を利用していただけだ。
天皇は実際に生きていたけれど,軍人たちのあやつり人形でしかなかった。
その証拠に,日本の敗戦が決まったとき,軍隊の一部は自分たちの「正義」を守るために天皇を殺そうとした。
彼らが本当に天皇を「神様」だと思っていたら,そんなことをするわけないよね。天皇はただの「道具」だったんだ。
結局,宗教は戦争の口実になる。だから今の憲法では,戦争が起きないように宗教を政治から切り離したんだ。
そういう意味で,今の日本は確実に「戦争しづらい国」になっている。昔の日本人は「天皇のために死ね」と
いう命令に素直に従っていた。それは宗教の力だ。今はそういう力が働かないので,「戦争に行け」と言われても
素直に従う人はほとんどいないだろう。それだけ,今はいい世の中になったということだ。
ここまでの話の中で,1つの疑問を持った人は多いと思う。
さっき「宗教や天皇は,戦争をしたい人たちに利用される」と言ったよね?
じゃあ,「戦争をしたい人」とは誰のことだろう?その人たちはなぜ戦争をしたいんだろう?
その答えのヒントは,もっと昔の戦争にある。
日本にはかつて,国中で年中いくさをやっている戦国時代のような時代もあった。
しかしそれらは全部「内戦」だ。外国と初めて戦争をしたのは,江戸時代が終わって明治時代に入った
1894年のことだ。相手は「清」,今の中国だね。さらにその10年後には,ロシアとも戦っている。
これらの戦争は,当時の「富国強兵」という国作りの方針に沿ったものだ。
明治時代の日本の指導者たちは「外国に負けないような,強くて大きな国を作りたい」という望みを
持っていた。彼らがそう思うようになったのは,当時の世界にはいくつかの「強い国」があって,それらが
世界中の他の地域を自分の領地にする「早いもの勝ち」の競争をしていたからだ。つまり,日本で言う
戦国時代の規模が,世界に広がっていたと思えばいい(太平洋戦争の頃も事情は同じだ)。
だとすれば,当時積極的に戦争をしたがっていた人たちの考えは,戦国武将に近いと言えるだろう。
要するに「国取り競争」だ。「自分の陣地を一番広げたやつの勝ち」みたいな。
では,戦国武将は何のためにそんなことをするのだろう。
答えは明らかだ。彼らの「支配欲」「征服欲」が強いからだ。
「他人に勝ちたい」「人の上に立ちたい」−こういう気持ちが強い人は,君たちのまわりにもいるだろう。
ドラえもんのジャイアンのイメージだ。血液型診断じゃないが,彼らにはだいたいこんな性格の人が多い。
〈いい面〉
リーダーシップがある,正義感が強い,面倒見がいい,行動力がある,など。
〈悪い面〉
わがままだ,空気を読めない,乱暴だ,自分が一番正しいと思っている,など。
およそ人の上に立つ人間には,こんな感じの(ジャイアン型の性格の)人が多い。
よく言えばリーダー,悪く言えばガキ大将だ。肉食系と言ってもいい。
こういう性格の人は,何事にも前向きにチャレンジしようとする反面,他人に対する攻撃性が強い。
だから,いじめっ子になったりもする。
さてそこで,戦争が起こる2つ目の理由を挙げよう。1つ目は「民族・宗教の対立」だったね。
戦争は,指導者たちの野心(征服欲)によって起こる。
この理由は,すべての戦争に当てはまると言っていい。戦国武将だって,イスラム国だってそうだ。
彼らが戦う一番大きな理由は,たぶん「戦いたいから」だ。「神様の命令」というのは口実で,
戦争すること自体が目的なんだろうと思う。
その背景として,人間に限らず動物のオスは「戦う本能」を持っていることも事実だ。
オス同士がメスを見つけるために戦うし,原始時代の狩りでは獲物と戦って狩ってくるのは男の役目だった。
だから,人間の男たちが戦うことは,生物としての本能という面もある。
男の子はバトルのゲームやアニメ,スポーツが好きなことからも,それはわかるだろう。
だから指導者たちの「野望」は,それ自体は仕方のない面もあるだろう。
ジャイアンみたいな男の子もいれば,のび太くんみたいな男の子もいる。それは単なる性格の違いだからね。
以上が,「戦争が起こる理由」の説明だ。
まとめると,戦争が起こる主な理由は,「民族・宗教の対立」と,「指導者たちの野心」だと言える。
それを理解した上で,次に「戦争はどうやったら防げるか」を考えてみよう。
最初に挙げたとおり,戦争には「外国との戦争」「内戦」「テロ攻撃」の3つがある。
日本という国に限定して考えた場合,「内戦」が起こる可能性はまずないだろう。
テロ攻撃についても,日本人がよその国へ行ってそういうことをする可能性はほとんどない。
外国からテロ攻撃を受ける可能性はあるが,これは「防ぐ」というよりも「どう対処するか」と
いう問題だ。だからここでは,「日本と外国との戦争をどう防ぐか」を考えてみよう。
(君たちが中学生くらいになったら,日本とアメリカとの現在の関係も知っておく必要がある。
ここではそのことについては説明を省くことにする)
先に答えを言ってしまうと,オジサンの意見は次の2つだ。
@
戦争が起きるのを防ぐことは,ものすごく難しい。
A
だから「戦争が起きたらどうするか」を考える方が現実的だ。
まず,「民族・宗教の対立」については,さっきも言ったとおり,特効薬のような解決法はない。
しいて言えば,いろんな地域で民族や宗教がごちゃまぜになれば,戦争は起こりにくくなるだろう。
ロシアや中国のような大きな国では,はしっこの方で独立運動が起きている。
そのあたりには,中心地とは違う民族が住んでいるからだ。
アメリカでこういうことが起きないのは,いろんな民族が各地に散らばっていることも理由の1つだろう。
日本については,そもそもほとんどの国民が民族や宗教の違いを意識していないから,それが外国との
戦争や内戦につながるような心配はまずしなくていい。
では,「指導者たちの野心」によって起こる戦争はどうだろうか。
どこの国でも,あるいは君のお父さんやお母さんが勤める会社でも,指導者(社長)は攻撃的な性格の
持ち主だろう。そうでなければリーダーとしては勤まらないからだ。
おおざっぱに言えば,政治家やリーダーは誰でも「戦いたい」という気持ちを持っている。
違うのは戦う相手だ。ある人は外国との戦争を望むかもしれないし,別の人は「弱い人たちの暮らしを
守るために戦いたい」と思うかもしれない。
だから,理屈で考えれば「野心的でない指導者を選べば戦争は起きにくい」とは言えるけれど,現実に
そういう指導者を選ぶのはムリだと思った方がいい。そもそもそんな人は,指導者に立候補しないよね。
生徒会長の選挙と同じだ。
だから,日本の指導者たちが「戦争に参加しよう」と言い出す可能性はゼロじゃない。
君たちには少し難しいけれど,実際にそういうことが起きるかもしれないのはこんなケースだ。
日本はアメリカと友だちで,アメリカは強い軍隊を持っている。だからアメリカは,世界のあちこちで
戦争(みたいなこと)をしている。建前はもちろん「世界征服」なんかじゃなくて,その国で起きている
内戦を終わらせる手助けをするとかだ(その背後には自分の勢力を広げたいという思いがある)。
で,アメリカがそのどれかの戦争に「おまえも参加しろよ」と誘ってきたら,日本も参加することになる。
ただし参加するのは自衛隊員だけで,君たちが大人になっても「戦争に行け」という命令が君に来る
ことはない。だから,あくまで空想の話になるけれど,君が「ボランティアで戦争に行きませんか?」
と誘われたと仮定して,どう対応するかを考えてみよう。
まず君たちは,「実際に戦争が起きている」という現実を認める必要がある。
戦争が悪いことだとしても,現に起きていることに対していいとか悪いとか言ったって無意味だ。
つまり,起きてしまった戦争に対して「どうやったら防げるか」を考えても仕方がないということだ。
雨が降ってきて下校できない友だちに「傘を持ってくればよかったのに」と言っても何の役にも立たない。
自分の傘に入れてやるにせよそれを断るにせよ,何かの答えを出す必要はある。
「ボランティア兵士募集」のチラシには,こんなことが書いてあるかもしれない。
「○○国では,一部の乱暴者たちによって一般の人たちが戦争の危険にさらされています。
その国を平和にするために,アメリカと日本は協力してその乱暴者たちを退治に行きます。
これは人助けです。積極的に参加してください。」
こう言われたら,ジャイアンのような性格の男の子なら,ボランティアで戦争に行くかもしれないね。
ここで,大切なことを1つ言っておこう。
君は,ボランティアで戦争に行くジャイアンの悪口を言ったり,軽べつしたりしてはいけない。
彼を尊敬するかどうかは君しだいだけれど,別に尊敬する必要もない。
ジャイアンが戦争に行くのは彼自身が自分で決めたことであって,彼の生き方の問題だ。
このケースでは,ジャイアンの気持ちもわかるだろ?
彼自身は「人助け」のつもりで戦争に参加しようとしているわけだから。
この例からわかるように,いつでも単純に「戦争は悪いことだ」と言えるわけじゃない。
指導者たちは,もしかしたら「世界平和」という高い理想を実現するために戦いが必要だと思って
いるのかもしれない。ジャイアンはその理想に共感したから戦場に行くのかもしれない。
君が戦争に行かないことを決めるのも,君自身の「正義」から出した結論だろう。
君の正義と彼らの正義が違っていたとしても,彼らを責めてはいけないよ。
「ワンピース」で青キジも言ってただろ?
以下は「教育的」とは言えないので,オフレコのお話。
そして最後に,大切なことをもう一つ,内緒で君に教えておいてあげよう。
オジサンは,上のようなケースでボランティアで戦争に行くジャイアンを,かわいそうな人だと思う。
自分が利用されていることに気づいていないからだ。
ジャイアンを利用しようとしているのは,国を動かすリーダーたちだ。総理大臣とかね。
その人たちには,兵士たちを利用するという自覚はないだろう。
でも実際は,ジャイアンのような純粋な正義感の持ち主たちは,国のリーダーたちの
「天下統一の野望」に利用されているだけなんだよね。
最初に言っただろう。戦争が起こる理由は,大きく言って2つしかない。
1つは民族や宗教の対立,もう1つは指導者たちの野心だ。
野心を持った指導者たちは,たいてい自分の目的を達成することにしか興味がない。
つまり,自分以外の人間は,自分の野望を実現するための「将棋のコマ」にすぎない。
強い権力を持てば持つほど,人間はそういう性格になっていく。
逆に言えば,そういう人でないと指導者にはなれない。
会社も同じだ。今「ブラック企業」という悪い会社が問題になっている。安月給で若い社員を
こき使って,疲れて体を壊したら新しい社員を入れるという,とんでもない会社のことだ。
そういう会社の社長も,「競争に勝つ」ことにしか興味がないんだね。
だから社員は,自分の欲望を満たすためのただの道具でしかない。
そんなマンガみたいな話があるの?と君は思うかもしれないけれど,それが現実なんだ。
でも,そんなリーダーたちを許してやってほしい。彼らはそういうふうにしか生きられない,
ある意味でかわいそうな人たちなんだ。君の方は,そういう無茶を言うリーダーと適当に距離を
置いて,自分の身を守る方法を,これから先の人生で身につけていってほしいな,オジサンは。