自民党の杉田水脈(みお)衆議院議員の発言が,大きな批判を浴びている。
この人のこれまでの政治活動や発言は,ウィキペディアに詳しく書かれている。(以下はその抜粋)
2015年、自身の公式ブログにて、LGBTの人々について「生産性のあるものと無いものを同列に扱うには無理があります。これも差別ではなく区別」と記載。また、「日本では基本的人権が保障されています」とし、その上でLGBTの人たちが権利を主張することは「『LGBTの特権』を認めろ!という主張になります」 とし、「障がい者や病人以外は支援策は不要です」と記載、最後に「この問題を含め、うまくいかないことがあれば国や行政になんとかして貰おうとする。そういう事例が噴出してきています」「自分の問題は自分で解決できる自立した人間を作るための努力を怠ってきた、戦後日本の弊害かもしれません」と締めくくっている。
2018年7月、「LGBTのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子どもを作らない、つまり生産性がないのです」などと「新潮45」2018年8月号に寄稿し、国内外の人々、当事者団体、自民党内外の複数の国会議員、大臣、弁護士、大学教授、芸能人など著名人からも批判が殺到した。国内外の複数のマスメディアからも批判的に報道された。
これから書こうとする記事は,杉田発言(上の赤字)への批判ではない。
この記事のテーマは,「人は他人の発言になぜ腹を立てる(ネガティブに反応する)のか」
―つまり怒りのメカニズムを定式化しようとする試みだ。
たとえば杉田発言には「○○のために税金を使うのは好ましくない」という意見が含まれているが,その問題設定自体は悪くない。
問題は「○○」の部分に入る内容だ。
「収賄で退職した官僚への退職金の支払いのために税金を使うのは好ましくない」だったら,多くの人は賛成するだろう。
「寝たきりの高齢者を延命させるための医療費に莫大な税金を使うのは好ましくない」なら,おそらく賛否が分かれると思う。
では多くの人々は,杉田発言の何に対して(あるいはどんな理由で)ネガティブな反応を示すのだろうか?
次のような数式を考えてみた。(アルファベットは,イメージしやすいよう日本語の頭文字にした)
I(怒りの度合い)=K×(R+S+J)
ある事件や他人の意見に対して,
I
の値が高いほどネガティブな感情が強くなる。
K=距離感,R=理性[論理],S=思想[宗教],J=情緒
4つの要素は,それぞれ0〜10の値をとる。
ただしR・S・Jは,「0か10か」の二者択一になることがよくある。
また,特にS・Jは,10より大きく(たとえば100に)なることがある。
各人の「怒りの度合い」は,上記の数式によって決定される。
各要素の値がすべて10なら,I=300になる。これが「激怒」の数値。逆に
I=0 は「怒りはゼロ」ということだ。
上記のとおりS・Jは10を越えることもあるので,I
=1,000とか10,000とかになるケースもある。
以下,具体的に説明する。
K(距離感)とは,「その話が自分にとってどの程度の重要性を持つか」という度合いのこと。
「その問題は自分にとって何の関係もない」と本人が思っていれば,K=0だ。
逆に「自分はその問題の当事者だ」というケースでは,K=10になる。
たとえば,ミツバチの個体数が激減する現象(蜂群崩壊症候群)が世界中で起きている。
それに対して誰かが「ハチの数が減ろうが増えようが,どうでもいいじゃないか」と言ったとする。
「ハチの話は自分には全く関係ない」と思う人にとっては,K=0だ。
その人の
I(怒りの度合い)は,上の数式によって0になる(掛け算の片割れが0だから)。
つまり,上の(茶色で示した)意見に対して全く心を動かされない。
R(理性)とは,合理的な思考や事実に基づいて「正しい」と思う度合いのこと。
Rの数値が大きいほど,「筋が通らない」と思っていることになる。
たとえば上のハチの話に対して,生物学者の山田さんはこう考えた。
「ハチの数の減少は環境問題と密接に関連しており,私たちの生活にも影響を与える。
『数が減ろうが増えようがどうでも言い』などとは決して言えない」
このとき,山田さんはある意味でハチ問題の当事者だから,K=10だ。
そしてR=10でもある(科学的な根拠に基づいて「間違いだ」と判断しているから)。
だから,S・Jが0であったとしても,I=10×(10+0+0)=100
となる。
その100という数値が山田さんの「怒りの沸点」を越えていれば,彼は腹を立てることになる。
S(思想)とは,合理的判断とは関係なく,「自分の価値観に合うかどうか」の度合いのこと。
Sの値が大きいほど,「自分の思想とは違う」と思っていることになる。
Sの判断の背景には,宗教(的な信条)がしばしば含まれる。ただし,RとSはしばしば混同される。
たとえば「核兵器は廃絶すべきだ」という考えは単なる思想(あるいは宗教)であって,論理的な正しさとは関係ない。
現に世界には,対立する思想(核抑止論)を信じている人々もたくさんいる。
そこで,核兵器廃絶論という思想を信じている田中さんが,「核兵器は必要悪だ」という他人の意見を聞いたとしよう。
田中さんはこの問題に関心が高い(しかし当事者ではない)から,K=7だとしよう。
そして,この意見は田中さんの思想に反するから,S=8とする(10でないのは,一応「悪」という言葉が入っているから)。
Rは,本来はゼロであるはずだ。「核兵器は必要悪だ」という意見が論理的に間違っているとは言えないからだ。
ハチの場合と同様に客観的な根拠を挙げることも不可能ではないかもしれないが,田中さんはそんなことは考えていない。
このとき田中さんにとっては,S(思想)の高い数値に引きずられる形で,R(理性(だと本人が信じているもの))の値も上がっていく。
「Sが8だからRも8だ」と田中さんは思い込むかもしれない(そのリンケージには根拠はないのだが)。
同じことはJ(情緒)にも言える。Jとは「不愉快さの度合い」だ。
「自分の思想に反している→だから不愉快だ」ということになって,Sが大きければJも大きくなる。
そこで,核兵器廃絶論者の田中さんが「核兵器は必要悪だ」という意見を聞いたときのI(怒りの度合い)は,たとえば次のようになる。
I=7×(8+8+8)=168
これはかなり大きな数字であり,田中さんは怒っていることだろう。その怒りの根源は,S=8という数値にある。
つまり「この意見は自分の思想に反している。だから(合理的に考えて)間違っているし,不愉快でもある」と田中さんは思っているのだ。
しかし田中さんの怒りは「思想の違い」によるものでしかなく,合理性とは関係ない。その点をここでは指摘しておきたい。
上記のようにR・S・Jはしばしば相互に影響しやすいが,そうではないケースも見てみよう。
「ある大学教授が,デパートで女性のスカートの中を盗撮して逮捕された」
このニュースを聞いたとき,男性である鈴木さんはこう考えた。
「気持ちはわかるけど,実際にやったらダメだよね」
鈴木さんも男だから,こういう話にそれなりの関心はある。だからK=5だとしよう。
これは犯罪だから,Rは当然10だ。特定の思想とは関係ないから,Sは0だ。ではJは?
鈴木さんは男だから,その教授の「気持ちはわかる」。つまりJ=0だとしよう。
このとき
I=5×(10+0+0)=50になる。
鈴木さんの「怒りの沸点」がもし100なら,この事件は彼の怒りの対象にはならない。
一方,女性である高橋さんの場合は違う。
他のすべてが鈴木さんと同じでも,高橋さんにとってJ(情緒)の値だけは間違いなく10だ。
彼女が実際に盗撮の被害にあった経験者なら,Jは20にも100にもなるだろう。そしてK=10だ。
この場合,
I =10×(10+0+100)=1,100
となる。高橋さんの怒りは爆発だ…ということになる。
以上の説明に基づいて,杉田発言に対する反応のメカニズムを考えてみよう。
ここでは杉田発言を「LGBTの人々には生産性がない。生産性がない人に税金を使うべきではない」と要約する。
この発言に対して「直感的に腹が立った」という人も多いだろう。
その「直感」の中身を,最初に示した次の数式に基づいて分析してみよう,というのが今回の記事の主題だ。
I=K×(R+S+J)
加藤さんは,こう考えた。
「杉田氏の言っていることは,差別だからよくないよ。気持ちはわからないでもないが,口に出して言ったらダメだよね」
加藤さんの感想は,上の盗撮事件に対する鈴木さんの感想に似ている。どちらかと言えば杉田氏に同情的だ。
加藤さんの感想の背景には,たとえば次のような数値が当てはまる。
K(距離感)=2,R(理性)=10,S(思想)=10,J(情緒)=3
I=K×(R+S+J)=2×(10+10+3)=46
この数式のポイントは,Kの数値(2)が低いことだ。
つまり加藤さんは,LGBTという話題を基本的に「他人ごと」だと思っている。
そして「自分自身,同性愛者の気持ちには共感できない」と思っている(だからJはせいぜい3)。
そのため杉田発言に対して,理性(R)や思想(S)の怒りポイントは加算されるけれど,I
の値が小さいのだ。
一方,藤田さんはこう考えた。
「とにかく杉田氏は許せない。LGBTのことはよく知らないが,彼らが社会的弱者であることはわかる。
弱者をいじめる人間は,人として許せない。また,批判を受けたLGBTの人たちが気の毒だ。」
藤田さんのゲージは(少なくともこの問題に関しては),S(思想)とJ(情緒)が10を大きく越えている。
たとえばK=2,R=10,S=50,J=50
だとすると,
K×(R+S+J)=2×(10+50+50)=220
藤田さんの「怒りの沸点」が100だとすれば,藤田さんは杉田氏に対して強い怒りを覚えることになる。
仮に藤田さん自身がたとえば同性愛者だとすれば,当然K=10となり,I
の数値は5倍にはね上がる。
今までに述べてきた例をもとに,I(怒りの度合い)の数値が大きくなったり小さくなったりする原因を改めて考えてみよう。
最も重要なのは,K(距離感)が「掛け算の片方」であるということだ。
つまり「当事者意識の強さ」こそが,「怒り」の大きさを決定付ける最大の要因と言える。
理屈で考えればどんなに不合理なことであっても,自分とは無関係だと思えば「怒り」は生じない。
「モリカケ問題をはじめ,安倍政権があれだけ無茶苦茶なことをしているのに,政権の支持率がなぜ下がらないのか?」
―
こういう意見がよく聞かれるが,「支持率が下がらない理由」は上記の数式によって説明できる。
多くの有権者にとって,安倍政権の無茶苦茶ぶりが自分の「怒りの沸点」を越えていないからだ。
それはなぜか?おそらく,多くの人にとっては
Kの値が低いからだ。もう一度数式を見てみよう。
I=K×(R+S+J)
安倍さんの言動は,誰が考えても筋が通っていないことは明らかだ。だからR=10だ。
また,民主主義や三権分立を軽視しているから,多くの人の思想にも合わない。つまりS=10だ。
それらと連動する形で感情的なイメージも悪化するから,J=10でもあったとしよう。
しかし「R+S+J=30」であっても,Kが1とか2なら,I
の値は大きくならない。
要するに多くの人は,「政治は自分の関心の対象外だ」と思っている。
同じことは,原発や沖縄の米軍基地についても言える。
みんな頭では,「原発はない方がいい」とか「沖縄の人たちがかわいそうだ」と思っている。
それでも世論があまり盛り上がらないのは,「自分とは直接関係がない」という理由でKの値の低い人が多いからだろう。
見方を変えると,こうも言える。
「Kの値が自分とは違う」という理由で,他人を批判してはいけない。
たとえ思想や感情を共有していても,距離感の大小によって感想が分かれることはよくある。
「安倍政権の横暴ぶりに対して,なぜあなた(たち)はもっと怒らないのか?」
―
こういうことを言ってはいけない。あなたとほかの人とでは,政治に対するK(距離感)の値が違うのだ。
「世界中でハチが減っていることに対して,なぜもっと問題意識を持たないのか?」と問い詰められたら,
たぶんあなたは当惑するだろう。それと同じだ。
別の例を出そう。タクシーを待つ列の間に割り込むおじいちゃんがいた。
それを見たAさんは「けしからん」と言い,友人のBさんは「まあいいじゃん」と言った。
割り込みはいけないことだし,割り込まれると不愉快だ。そこまでは二人の感覚は一致している。
しかし,AさんはK=8で,BさんはK=3だった。結果,Aさんの
I は自分の沸点を越えたが,Bさんの I は越えなかった。
正義感の強いAさんにとって,「不正」は(たとえ小さなことでも)許しがたいものだった。
しかしBさんは,「タクシーの順番が1つ遅れるくらい,大した問題じゃないじゃん」と思った。
ここで生じたKの差とは,「列に割り込まれた」という事実が自分にとってどれだけ重要かという意識の差だ。
それは2人の性格や価値観の差によるものであって,どちらが良い悪いという問題ではない。
しかしこういうケースでは,えてしてAさんの方がBさんを批判しやすい。
さらに言えば,えてしてAさんの方が沸点が低い。つまり,I
の数値が同じでも,Aさんは怒るがBさんは怒らないこともある。
Aさん的な人は気をつけましょうね,という話だ。
再び,杉田発言に戻ろう。
「LGBTの人々には生産性がない。生産性がない人に税金を使うべきではない」
この発言に対する佐藤さん(ぼく)の
I は,次のようになる。
I=K×(R+S+J)=5×(10+10+10)=150
Kは5くらい。R・S・Jは全部10だ(佐藤さんのゲージには10より大きな数字はない)。
Rに関しては,生産性がないと言うなら老人や病人もそれに該当するはずだが,杉田氏は(最初に引用したウィキペディアにあるとおり)
「障がい者や病人以外は支援策は不要」と述べている。これでは筋が通らない。杉田説に従うなら,老人や病人にも税金を使うべきではないだろう。
Sに関しては,生産性(=国に対して役に立つかどうか)を基準にして税金の使い道を決めるという思想に賛同できない。
Jに関しては,自分が目立つために社会的弱者を利用しているように感じられて不愉快だ。
総計の150という数値は佐藤さんの沸点を越えているから,やっぱり杉田発言には腹が立つ。
一方,自民党の二階幹事長は,杉田氏を擁護する形で次のような発言をした。
「人それぞれ政治的立場,いろんな人生観,考えがある(だから党としては杉田発言を問題視しない)」
これについての佐藤さんの感想を点数化すると,次のようになる。
I=K×(R+S+J)=5×(0+0+10)=50
この点数は沸点を越えていないから,腹は立たない。
Rが0なのは,「筋が通らない」とは思わないから。
Sが0なのは,この発言自体は民主主義的であり,思想的に賛同できるから。
Jが10なのは,杉田氏による「弱い者いじめ」の見方をしているように感じられるからだ。
さらに,自民党の谷川とむ衆議院議員は,「同性愛(や夫婦別姓)は趣味みたいなもの」という趣旨の発言をした。
これについての佐藤さんの感想は,次のとおりだ。(数値は杉田発言と同じ)
I=K×(R+S+J)=5×(10+10+10)=150
Rが10なのは,事実と違うことを言っているから(同性愛は科学的根拠によって趣味ではないと言える)。
Sが10なのは,多様性を排除するという思想に賛同しないから。
Jが10なのは,弱い者いじめとかいう以前に,「こいつバカだな」と思うからだ。
これらは「分析してみたらこうなった」ということであり,実際に腹が立つかどうかは直感的なものだ。
ただ,ある事件や発言に対して「腹が立つ」と思ったとき,自分は何に対してなぜ腹を立てているのか?と考えることは大切だと思う。
それは「自分はどういう人間か?」と自分に問うことと同じであり,他人の気持ちを理解するのにも役立つだろう。
最後に,もう2つ例を挙げておく。
その1。東京医科大で女子の合格者数を抑えるための不正な得点修正が行われていたというニュースがあった。
これに対する佐藤さんの感想は,次のとおりだ。
I=K×(R+S+J)=8×(10+0+3)=104
セーフかアウトかで言えば,「ぎりぎりアウト」という感じ。
大学入試についての関心は高いから,Kは8。
Jの3は,不合格になった女子受験者が気の毒だから。数値が低いのは,それ以上に大学側にシンパシーを感じるからだ。
Sについてはゼロ。つまり「女子生徒の合格者数を絞りたい」という大学側の思想が悪いとは思わない。
将来もしAIに合否判定を行わせたら,あらゆる要素を考慮して今回と同じような得点調整をするかもしれない。
その際は,医者の需要に関する男女差が当然大きなファクターになるだろう。
しかしR(理性)の観点から言えば,大学側のしたことは完全にアウトだ。
「女子に不利な合否判定をした」ことが問題なのではない。それを事前に公表しなかったことに非がある。
「女子の合格者は定員の3割までとする」と募集要項に書いてあれば,何も問題はなかった。
「それは差別だ」と指摘されたら,実際に女性医師の求職率や離職率が高いというデータを出すなりして,合理的に反論すればいい。
それに対して,「それは女性医師自身の責任ではない。女性の働く環境が整備されていないからだ」という反論が出るだろう。
その意見に対しては「大学には,医師の労働条件を改善する責任はない」と反論すればいい。
この問題の本質は,「大学の医学部にとって,社会に最も大きな現実的利益をもたらす入試選抜方法は何か?」ということだ。
女子を差別していることは確かだが,それが判断基準のすべてではない。
部外者がそこだけに目を向けて批判するのは自由だが,当事者はもっといろんなことを考えるべきだし,実際にそうしているのだ。
その2。毎年8月15日を中心として,「戦争の悲惨さを忘れないようにしよう」「二度と戦争をしてはいけない」という類の記事がメディアにあふれる。
しかし佐藤さんは,「戦争」を語るすべての意見に対して,ほとんど心を動かされない。
もちろん戦争はない方がいいので,「二度と戦争をしてはいけない」という意見には「そうですよね」と思う。
一方,仮に誰かが「戦争すべき時が来たら,国民はみんな戦争に協力すべきだ」と言ったとしても,佐藤さんの怒りのゲージは1ミリも動かない。
なぜなら,K(距離感)の値がゼロだからだ。それは,R(理性)の値がゼロであることによる。
合理的思考の帰結として,佐藤さんは「太平洋戦争のような意味での『戦争』を,日本という国が行う可能性は全くない」と思っている。
戦争の起きる可能性がゼロなら,必然的に戦争は「自分とは関係のないこと」になる。だからK=0だ。
では,日本が決して戦争を行わない理由は何か?
−
答えは,軍隊が機能しないからだ。つまり,戦おうとしても戦えない。
なぜ軍隊が機能しないのか?
それは,徴兵されたシロウトの兵士たちが上官の言うことを聞かないからだ。
明治憲法下では国家神道という宗教がすべての国民を洗脳しており,国民は戦争を拒否するという発想がなかった。
しかし今は違う。まず,軍隊を編成しようとしても,そもそも若者の数が少ない上に,徴兵逃れ(とその関連ビジネス)が多発するだろう。
むりやり徴兵されても,皆死にたくはないから,敵前逃亡やサボタージュが続発して現場の指揮は困難を極めるだろう。
昔のような鉄拳制裁は,むしろ受ける側が歓迎するだろう。死なない限り,上官なり国なりに慰謝料を請求できるからだ。
「兵役を利用して金持ちになるコツ」なんていう本が出版されれば,飛ぶように売れるだろう。
前にも書いたが,戦争は宗教と密接に結びついている。宗教のない社会は,戦争に適さないのだ。
「人間の兵士を使わなくても,ドローンとかの機械で戦争することもできるのではないか?」と思う人もいるだろう。
しかし,それもない。そんなまだるこしいことをしなくても,相手国の領土を攻撃したければミサイルを撃てばいい。
何なら核兵器でもいい。核抑止論とは,そういう思想だ。
「遠くから一撃で相手を倒せる」からこそ,おおぜいの人間を敵地へ送り込んで無駄死にさせなくてすむのだ。
核抑止論に賛成はしないが,核を使わなくても今の世界は「効率的に戦争に勝つ手段」が発達しているので,
上官の命令を聞かないシロウト兵士を使った非効率な人海戦術を選択するような愚かな指揮官はいない。
だから,少なくとも日本の一般人が戦場に駆り出される可能性は全くないと断言できる。
終戦記念日で反戦ムードが盛り上がろうが盛り上がるまいが,あなたが戦争に巻き込まれることはありえない。
憲法改正?好きにすればいいだろう。9条を改正したからといって,何かが変わるわけじゃない。
自衛隊が海外の戦争に参加するようになる?それは憲法ではなく政治判断の問題だ。
そういう政治判断が許せないというなら,その判断をした政権を,選挙を通じて別の政権に変えればいい。
それが民主主義というものだ。日本が民主主義国家である限り,何も心配することはないのだ。