最終更新日: 2008/9/23

雑記帳 (社会問題編-G)


 

◆ 2008/9/23(祝) 大分県の教員採用試験での不正について

 

記憶に頼って書くと,こんな感じになる。

 

今年の教員採用試験で,大分県教委の幹部が,一部の受験者の点数を水増しする操作を

行った。それが発覚して試験の成績を再調査した結果,本来の合格点に満たない受験者が

20数名合格しており,4月から正規の教員として勤務していた。大分県は彼らに辞職を勧告し,

多くは辞職,一部は(勧告に応じなかったため)解雇となった。彼らの補充については,本来

合格していたはずの受験者に連絡を取り,希望者を採用するという。関係者によればこの種の

操作は以前から行われていたが,昨年度以前については試験のデータがなく立証できない

ため,不問に付されることとなった。

 

この事件とその後の展開に対しては,一言で言えば「釈然としない」という感想を持った。

同じような思いを抱いた人も少なくないはずだ。そこで,その「釈然としなさ」の正体を,

ちょっと分析的に考えてみようと思う。

 

なお,この種の事件は「一番の被害者は子どもたちだ」という教育論的な批判もできるが,

今回の記事ではその点には触れない。あくまで「大人の社会の営み」を論じることにする。

 

 

(1)一番悪いのは誰か?

 

点数の操作に至るまでの経緯として一番可能性が高いのは,こんな流れだろう。

 

@ 大分県では,以前から「有力者の口利きがなければ教員試験に合格できない」という

     噂があった。

A それを聞きつけた一部の親は,息子や娘が教員になれるチャンスを高めるために,

    (おそらくは)県会議員のところへ(おそらくは)10万円単位の金を持って「あいさつ」に

    行った(あるいは後で謝礼を払った)。試験を受ける本人は,その事実を知っていた

    かもしれないし,全く知らなかったかもしれない。

B 「口利き」を頼まれた県議は,教育委員会事務局の担当者に,点数の操作を依頼,

    あるいは指示した。

C 担当者は,断れば自分の出世の道が閉ざされると思い,やむなく点数を操作した。

 

この流れを単純化して言えば,当事者は次の4名である。

 

(A) 教員試験を受験した本人

(B) その親

(C) 県会議員

(D) 県教委の担当者

 

この4人を「罪の重い順に並べるしたら,その配列は人によって違うだろう。

ぼくは,こう並べる。

 

(C)県会議員 → (D)県教委の担当者 → (B)親 → (A)本人

 

まず,「(A)本人」の罪は最も軽い。たとえ親が「ワイロを積まないと合格できないから,

一緒に県議のところへ挨拶に行こう」と本人を誘っていたとしても,だ。失礼を承知で

言うと,「学校の先生」を志望する人は,教職につけなければ潰しがきかないケースが

多い。それには,大きく3つの理由がある。第1に,本人が「教師になれなかったから

他の仕事を探そう」と簡単に気持ちを切り替えるのが難しい。第2に,教員志望者の

メンタリティは,事務・営業その他の一般的業務に向いていないことが多い(それだけ

教員というのは「特殊な職業」である)。第3に,教員志望者は都会より田舎に多く,

地元には他の就職口が少ない。そこで,自分が教員になれるチャンスを少しでも

広げたい,と考えるのは,人情として理解できる。まして,大学を出たての若者が

「世間ではみんなやっていることだ」と説得されたら,世間を知らない自分がそれに

反論するのは現実的に難しいだろう。つまり,本人にとって,教員採用試験に関する

ワイロは「不本意ながら従わざるを得なかった悪しき慣習」,もしくは「大人への階段」

であっただろう。

 

似た理屈は,「(B)親」にも当てはまる。親は子供よりも世間を知っているから,

躊躇なく「ワイロを払って点数を上げてもらうのが世間の知恵だ」と考えるだろう。

当然,それによって本来合格すべき優秀な学生がはみ出すことを親は知っている。

しかし,世間ではその種の「競争」は当たり前のことである。今までも,みんなが

やってきているのだから。もちろん,過去にすべての教員がワイロで合格したわけでは

ないだろう。しかし,定員の何割程度がワイロの恩恵を受けているのかを知るすべが

ない以上,自分も「バスに乗り遅れないように」口利きを頼むしかないだろう ------

自分が当事者だったら?と想像したとき,ぼくはこの親を責める気になれない。

 

そしてさらに,同じことが「(D)県教委の担当者」にも当てはまる。役所では,「前例」が

絶対的に重視される。斬新なアイデアでも「前例がない」という理由で否定されることが

一般企業よりもずっと多い。自分の前任者も同じことをやってきた,という事実を前に

して,役所勤めをしている人が「個人の正義」を貫くには,膨大なエネルギーを要する。

だから,(D)に対しても「けしからん」ではなく「気の毒だ」という感想の方が強い。

しかし,(A)や(B)よりも(D)の方が罪が重い,ともまた言える。

なぜなら,「自分(あるいはわが子)が教員になれるかどうか」という切迫した状況と

比較した場合,「自分の出世の道が閉ざされるかもしれない」という状況は,相対的に

切実さの度合いが小さいからである。これが「断ればクビになる」というのなら話は別だ。

実際には今回の事件における(D)は教育委員会の幹部であり,それ以上の「出世」は

必ずしも彼の人生にとって必須ではないだろうから。本人がどう思っていようが,はたから

見れば「ゼイタク言うな」という感じだ。

 

そして最後に残った「(C)県会議員」である。彼には,最も大きな責任がある。なぜなら,

彼がワイロの受け取りや点数の口利きを拒んだときに「失うもの」は,4人の中で最も

小さいからである。言い換えれば,上記@〜Cの「流れ」のどこかでストップをかけると

したら,その役目を担うべき人物は,「(C)県会議員」である。補足して言えば,彼が

口利きを拒んだ場合に「失うもの」は,ゼロではない。彼が失うのは,「面倒見のいい

議員さん」という世間の評価である。これはもしかしたら,彼にとって切実な問題かも

しれない。次の選挙の当落に直結するかもしれないのだから。もっと県議本人の立場

に寄って言えば,「口利きがアンフェアなことは,ワシもわかっとるわい。でも,本人が

後援会員の身内とか,後援会長からどうしてもと頼まれたら,断るわけにゃいかんわい。

選挙民が県会議員に期待するのは,交通違反のもみ消しとか身内の就職の世話とか

ばっかりよ。それを断っとったら,当選なんかできるかい!」という感じかもしれない。

 

つまり,ある意味で4者は全員,「自己保身のために『点数を金で買う』という悪しき

慣習に従った」と言える。その1点だけで言えば,4者は同罪である。しかしそれでも

やはり,最も大きな責任を負うべきは「(C)県会議員」だと思う。地位の高さに比例して,

果たすべき責任が大きくなるのが世の中の道理だからだ。

 

 

(2)一番損をしたのは誰か?

 

先に上げた4人を「損をした順」に並べると,こうなると思う。

 

(D)県教委の担当者 → (A)本人 → (B)親 →(C)県会議員

 

さっき挙げた「罪の重い順」を再掲してみよう。

(C)県会議員 → (D)県教委の担当者 → (B)親 → (A)本人

 

「釈然としなさ」の原因が,ここにある。

「悪い順」と「損をした順」が一致していれば,まあ許せる。しかし実際には,

一番重い責任を負うべき「県会議員」が,(今のところ)一番損をしていない。

 

「(D)県教委の担当者」は,警察に逮捕され,当然懲戒免職になって退職金ももらえず,

実害が最も大きいのは間違いない。ただ彼にはもともと重い責任があるので,まあ当然と

言えば言える。一方「(A)本人」は,非常に気の毒だ。親がワイロを払ったなどとは全く

知らなかったケースもあるだろう。教員採用試験は昨年の7〜8月ごろに行われたはず

だから,たとえ不合格になっても別の就職口を探すチャンスはあった。ところが,いったん

就職した職場を半年でクビになり,ましてそれが「不正採用」の当事者とあっては,別の

就職口を見つけるのは容易ではない(現実問題として彼らには,「来年再受験して合格

する」という道しか残っていない)だろう。いわば彼らは「被害者」である。「(B)親」も,

たぶん「息子(娘)がこの春から教員になりました」とあちこちで触れ回っていただろうから,

「不正操作を依頼した張本人」として周囲から白い目で見られ,あるいは職場を去った

人もいるかもしれない。また,寝耳に水で解雇された息子や娘との親子関係が壊れた

ケースもあるかもしれない。ひとごととは言え,身につまされる。

 

ついでに言うなら,クビになった本人は,その気になれば教育委員会を相手取って

裁判を起こすこともできるような気がする。訴えの理由は,こうだ。

 

「今回の事件は,過去から連綿と続く教育委員会の悪慣行が根本的な原因であり,

私たちはむしろその被害者だ。今回の不正を実行した当事者は1人かもしれないが,

昔から不正が行われていたことが『公然の秘密』だったとしたら,それを放置していた

教育委員会全体に,今回の事件の責任の一端があるはずだ」

 

クビになった者たちの中には,裁判を起こすことを考えた者もいたんじゃないかと思う。

彼らがそれを思いとどまった理由は,経済的な事情もあろうが,県が自分を再雇用

してくれるチャンスを残しておきたいからだろう。

 

 

(3)ふたたび,「一番悪いのは誰か」?

 

ここまでは「不正操作の当事者たち」の中だけで考えてきたが,この事件を全体を通して

「最も非難されるべき者(たち)」を挙げるなら,それは(A)〜(D)の誰でもない。

 

一番悪いのは,(E)警察 である。

 

この事件の今後の進展によっては,この意見は撤回することになるかもしれない。

しかし今のところ,最も罪が大きいのは警察だ,と言ってよいと思う。

 

そもそも,「(D)県教委の担当者」に不正な操作を指示あるいは依頼したのは誰か?

1人ではないだろう。下手をすると10人,あるいはそれ以上かもしれない。警察は,

どこまでそれを解明している,あるいは解明しようとしているのだろうか?警察の仕事は,

社会正義の実現にある。この事件を「個人の犯罪」で終わらせたのでは,ほとぼりが

冷めたころに同じことが繰り返される可能性が高い。

 

事件の全容を解明するプロセスは,素人が考えてもさほど難しくはないことがわかる。

「金が動いた」ことは間違いないから,「誰から誰に金がいくら渡ったか」を調べればよい。

この場合,「受験者の親から県会議員に金が渡った」と考えて9分9厘間違いない。

県議に「あなたは金を受け取りましたか?」と尋問しても,イエスと言うわけがない。

しかし,親ならどうか?たとえば捜査官は,こんなふうに親を説得することができるだろう。

 

「あなたは,誰にいくらのお金を払いましたか?あなたがそれを教えてくれれば,過去の

不正の立証もできるかもしれません。『過去にも同じような慣行があった』と証明されれば,

あなたの罪は軽くなる可能性があります」

 

あるいは,「息子の将来も台無しになったし,自分も会社をクビになった。ワイロを受け

取った人間だけがのうのうと暮らしているのは許せない」と逆恨み(?)して,収賄側の

県議を警察に売る親がいても不思議ではない。県議の方もそれを察知して,「結果的に

迷惑をかけたので,クビになった息子さんが別の会社に就職できるようお世話しよう」

とか何とか,あの手この手で親を懐柔しているかもしれない。

 

いずれせよ警察がその気になれば,県議を収賄罪で起訴することは難しくないだろう。

今のところそういう動きが出ていないのは,勘ぐればいろいろと考えられるが,結局

この件に多少とも関わりのある人々が,逮捕された担当者をスケープゴートにしてあとは

全部うやむやにしてしまおう,という暗黙の了解のもとで動いているのからではないか?

という印象を受ける。したがって,今回の事件の全体を通じての損得勘定は,次のように

まとめることができるだろう。※は彼らの「心の声」だ。

 

◆ 貧乏クジを引いた人々

@ 不正合格で就職して半年でクビになった若い教師たち(およびその親)

※ 過去に遡ったら,同じ理由で解雇される教員はもっと大勢おるやろ?

     たまたま去年の試験を受けたばっかりに・・・

A 不正操作の実行犯である県教委の担当者

※ 過去の担当者も同じことしてきたのに,なんでオレだけ・・・

 

◆ 難を逃れた人々

@ 口利きをした(ワイロを受け取った)県会議員

※ まあ,県議をやっとる間は,警察につかまることはないけどね。

    お互い持ちつ持たれつじゃし・・・

A 県教委のその他の職員

※ あー,ワシ,今年あそこの担当じゃのうて,えかった〜

 

 

(おまけ)前提は本当に正しいのか?

 

「おまえ,えらく断定的なことを言うておるが,そもそも『県会議員がワイロを受け取った』

というストーリーはどっから出て来たんじゃ?証拠があるんか?」と,問う人もいるだろう。

 

お答えしよう。「親が県会議員に謝礼を払って不正操作を(それとなく)依頼した」という

ストーリーは,まず間違いなく正しい。市会議員や国会議員がからんでいた可能性もあるが,

県教委を相手にした不正は,ふつう県会議員に頼むものだ。「ふつう」と言うからには,当然

大分県だけの慣例ではない。広島県でも,少なくとも過去には,今回の事件と瓜二つの

慣行が存在した(おそらく今も存在するだろう)。伝聞ではない。自分はその当事者だった。

あまり詳しいことを書くと誰かに迷惑がかかるかもしれないので詳細は省くが,実際この種の

「不正」は,なかなか表に出ないだけで,どこにでもある話である。「なかなか表に出ない」

理由は,県議会・知事部局・県警・県教委・・・など同レベルの組織同士の間に「お互い触れて

ほしくない部分には触れないようにしましょうね」という暗黙の了解のようなものがあるからだ,

というのは,うがち過ぎた見方であると言ったら過言かもしれない。

 

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