最終更新日: 2006/10/26
雑記帳 (その他編-12)
● 2006/10/26(木) クロのこと
クロがわが家に来たのは,今では高3になった上の娘が小6,下の娘が小3の9月だった。
上の娘が,段ボール箱に入って小学校の近くに捨てられていた2匹の子犬を持ち帰った。
生後2〜3か月くらいだろうか。
当然のことだが,娘らはその2匹の子犬を家で飼いたい,と言った。
もちろん,オヤジは反対した。こいつらが今後,その子犬を死ぬまで世話することは
あり得ない(そうなるとこっちにその仕事が回ってくる)と思ったからだ。
ヨメも,基本的には同意見だった。
2匹はそれぞれ「シロ」「クロ」という愛想のない名前をつけられたが,たまたま知り合いに
犬を飼いたいという家があり,シロの方は遠くの家へもらわれて行き,クロだけが残った。
さて,この子犬をどうするか?
段ボールに入れて元の場所に戻すか?子供らは当然反対した。
あまり引き延ばすと情が移って余計に手放しにくくなるので,数日後,役場に巡回して
くる動物愛護センターの車へ,ヨメと二人でクロを連れて行った。愛護センターとは言う
ものの実質は野犬の処分場で,「1週間くらい生かしておいて,その間に引き取り手が
見つからなければ処分します。子犬なので,引き取ってくれる人がいるかもしれません
が,確率はあまり高くありません」という話だった。処分とは,毒ガス殺である。
それまでにも何度か家族会議をして,結論として苦渋の選択としてそういう行動を取った
わけだが,まさにそのセンターの車に積み込もうとしたとき,ヨメが「どうしてもできない」
と言い出した。「自分が責任を持って飼うから,うちに置いてやろう」というのだ。
その子犬が可哀想な気持ちは,もちろんあった。しかし,犬の世話が大変なことは
犬を飼ったことのないオヤジにも簡単に想像できたし,ましてヨメは夜に仕事が入る
ことが多い。無理なんじゃないか?と思ったが,どうしてもと言うので仕方なく,クロを
連れ帰った。そうしてクロは,わが家の一員になった。子供らは,大喜びした。
「おまえらが飼いたい言うたんじゃけ,責任持って世話せえよ」とオヤジは言った。
大変なのは,朝晩の散歩である。3人は,こんなルールを決めた。
・平日はママが,朝晩散歩させる。
・週末と夏休みなどの休暇間は,3人で順番に朝晩の散歩をする。
・3人とも家にいないとき(正月などに3人が一足先にヨメの実家に帰ったりするとき)
は,オヤジが散歩に連れて行く。
駐車場の隅に置かれた犬小屋が,クロの寝床となった。
オヤジはそもそも,「犬を飼う」ということ自体があまり好きではなかった。
犬が嫌いなわけではない。「飼われている犬」が,何か気の毒に思えるからだ。
彼らは,一日の大半を,犬小屋のそばの鎖につながれた状態で過ごす。
散歩に行くときは外出できるが,それさえ鎖つきである。ネコのように自由ではない。
うちの近所には,宅地用の空き地がそこかしこにあり,柿やイチジクの木が植えてある。
その空き地で時々鎖を放してやると,クロは嬉々として走り回った。
子犬だった頃は,休みの日に時々子供らと一緒に車に積んで10分ほど走り,河原や
海沿いの広い空き地で運動させてやった。そのせいでクロは,オヤジの車を見ると
遠くからでもすぐに走り寄って来た。「車に乗ると楽しいことがある」と学習したせいだ。
しばらくして,クロを「庭の中で放し飼い」にすることにした。日中は鎖を外しておき,
ブロック塀と家の建物とのすきまの通路,それから幅1mに満たない小さな庭の中を
自由に歩き回れるようした。家をぐるっとひと回りできる程度の行動範囲を確保して
やったわけだ。玄関も開け放しておき,上がり口までは入れるようにしてやった。
予防注射は,もちろん受けさせた。病気の予防をしていれば,犬はだいたい10〜15年
くらいは生きるという。当時下の娘は小3だったので,この子が家を出る頃まではクロは
生きているだろう。その後は,やっぱりオヤジもクロの世話に参加せにゃいけまいな,
と覚悟は決めていた。実際は,オヤジがクロを散歩させるのは,せいぜい月に1回
くらいだった。クロは外に出ると走りたがるので,オヤジも運動がてら一緒に走る。
時間さえあったら,夕方こういう運動をするのもええかもしれんな,と思った。
もっとも実際はたいてい夜7時過ぎまで仕事場にいるので,平日の散歩は難しい。
そして娘らが中学生に,上の娘はさらに高校生になり,学校が忙しくなった。
休日でもクラブやなんやで,朝から晩まで出かけていることが多い。そうなると,クロの
散歩も物理的に難しくなり,ローテーションを組み替えて「ウチはきのうの夕方行ったけ,
けさはあんたの番じゃろ」とか,誰が散歩に連れて行くかでモメることも頻繁に出てきた。
(休日はオヤジは朝は釣り,夕方は夕飯の支度などで,こちらも物理的にムリである)
それにしても・・・とオヤジは思う。
犬というのは,なぜこうも人間に対して愛想をふりまくのか。
遺伝子の中に「飼い主には忠実にせよ」という命令が組み込まれているのか?
「犬は,家族の中の力関係を察知して,一番強い者の言うことは何でも聞くが,自分より
下だと思った者の言うことは聞かない」という。それは,確かにそうだ。たとえばクロは,
玄関の上がり口の廊下に置いてあるマットの上で寝るのが好きだ。廊下だから,当然
イヌが上がってはいけない。ヨメがそれを見かけると,クロはすぐに立ち上がって,
玄関の戸の前まで降りて行く。しかしオヤジが目の前を通っても,面倒くさそうに体を
ひねるだけで,廊下から降りようとしない。「この人はワタシのご主人様じゃないんで
(クロはメスなのだが)こいつの言うことは聞かんでええ」と思っているのだろう。
クロを散歩に連れて行くと,時々野良犬が近づいてきた(最近は駆除されてほとんどいない)。
そういうときオヤジは思う。「この野良犬とクロは,どっちが幸せなんじゃろうか?」と。
野良犬の寿命は短い。栄養不足よりも,予防注射をしていないため病気にかかるからだ。
しかし,野良犬は自由である。家から2〜3キロ離れたあたりに野良犬のたまり場があって,
そこでは近くの工場の人たちがエサをやっているらしく,数十匹の野良犬が群れていた。
一度,クロが近所にいた野良犬と仲良くなって,その野良犬がうちの家に来るようになった
ことがあった。当時はまだ「放し飼い」にしておらず,クロは鎖につないでいた。野良犬は,
クロのエサに近づき,クロからエサを奪い取って食べているようだった。飼い犬と野良犬の
ハングリーさの違いか,クロは明らかに大人しい性格の犬だった。
クロは,避妊手術を受けた。飼い犬としては,当然のことである。しかしここでもまた,
オヤジは思った。クロがもしも野良犬であったなら,ポロポロ子供を生んでいただろう。
メス犬にも母性はあるだろうが,子供を生み育てる喜びのようなものをどれほど感じて
いるのかは全然わからない。ただ,飼い主に嬉しそうにじゃれついている姿を見ると,
「おまえもメスに生まれてきたからには,子供を生みたかったんじゃないんか?と,
思うことがある。そういう意味でオヤジは,例の「犬殺し」の作家を頭から非難したくない。
オヤジは水槽で海の魚を飼っているが,忘れられない経験がある。
まだ飼育を始めて間もない頃だった。
水槽の中で,体長4〜5cmほどのアミメハギが,プラスチックの水草のそばでしきりに
動いている。エサと勘違いして何か探しているのか?とよく見ると,そのプラスチックの
水草には,数cmほどの大きさのモヤモヤとした小さな卵の塊が付着していた。どうやら
そのアミメハギはこの卵の母親であり,孵化させようと新鮮な海水を吹き掛け続けて
いるのだった。オヤジは泣けてきた。何とかこの卵を孵してやりたいと思った。海へ行き,
新鮮な海水を汲んできて補充してやったが,結局卵は孵らず,数日後には消えていた。
アミメハギのその行動は,もちろん一種の条件反射のようなものであり,「親の愛情」の
ようなものがそこにあるわけではないだろう。しかし,爪の先ほどの小さな魚でも,子孫を
残すために頑張っている姿を見ると,「ペットを飼うなら避妊させて」とか「鎖につないで」
とか,彼らの自然の姿を人間の都合で大きくねじ曲げていることに,オヤジはどこか
抵抗を感じないではいられない。動物園など,論外である。
10月25日の水曜日の夕方6時過ぎごろ,上の娘から仕事場へ電話が入った。
「もしもし?どうかしたんか?」
何か言っているが,聞き取れない。泣いているようだ。
「どうした?大きい声で言え!」
「車に・・・ひかれた・・・」
なにー!!!!!
「今,どこにおるんじゃ」
「ママの車・・・」
車にひかれたのは,娘ではなくクロだった。
病院へ連れて行く途中だというので,その病院の名前を聞いて電話を切った。
どんな具合かも聞こうとしたが,自分の目で見た方が早いと思った。
しかしあいにくこの日はどうしても急ぎの仕事があり,仕事場を出たのはそれから
30分ほど後だった。
車で動物病院に着くと,あるはずのヨメの車がない。
家に電話した。ヨメと娘は,もう帰宅していた。
「クロちゃん,死んだ」 とヨメは言った。
急いで病院から家へ帰ると,玄関には毛布にくるまったクロの遺骸があった。
外傷らしいものはなく,眠っているように見える。
泣いているヨメから話を聞くと,こういう経緯だったらしい。
いつものように夕方,クロをヒモにつないで散歩させていた。
ところが,空き地に植えてある木にヒモがからまり,ほどけなくなった。
仕方なくヒモを首輪から外してほどこうとしたら,クロが駆け出して,目の前の
大きな道路を横断して向こうへ行った。クロはまた,すぐにその道路を渡って
戻って来ようとした。そこへ乗用車が通りがかり,クロをはねた。もちろん,
乗用車を運転していた人に罪はない。ヒモを放したこちらの責任である。
はねられたクロは,即死だったらしい。肋骨が折れて肺にささっていたという。
正直,クロが車にはねられるとは,オヤジも思っていなかった。
クロは賢い犬で,ふだんは大きな道路には絶対に出て行かない。
時々空き地でヒモを放してやることもあるが,ひとしきり空き地を走り回ると
飼い主のところへ戻って来た。今回のことは,突発的な事故だった。
その日の夜(つまり昨夜),近所のお母さんたちが集まってきた。
うちの近所では,半数以上の犬で犬を飼っていて,犬同士も仲がいい。
クロのむくろは棺代わりの大きな段ボール箱に入れられ,好物だったエサや
花が添えられた。人間の葬儀と同じである。
そして今日の午前中,ペット専用の火葬場でクロは骨になり,遺骨は今,
うちの居間にある。きのうの朝までは元気だったクロが,今は灰になって
箱に入っている。
クロよ,おまえは幸せに生きたかい?
あのときヨメが引き止めなかったら,おまえの命はたぶん,生後3か月ほどで
消えていただろう。それを思うと,6年とちょっと生きたおまえは,少なくとも
野良犬よりは幸せだっただろうか?それとも,死ぬ前に一度だけ,思う存分
広い野原を走り回ってみたかったろうか?子供も生んでみたかったろうか?
生き物の幸せとは,何だろうか?
クロよ,家族は今,君を失った悲しみで一杯だよ。