最終更新日: 2006/08/21

雑記帳 (お仕事・英語編-C)

 


 

◆ 2006年4月の出来事 〜後編〜 ◆

 

〜 前編はこちら 〜
 


<親会社とのその後>

 

まず,3つのことを言っておきたい。

 

@ 契約を解除されたことに対する「恨み」は,ぼくの方には全くない。

 

A しかし親会社の方は,ぼくに「恨み」を持っているらしい。

 

B したがって,今後向こうの会社からぼくに仕事の依頼が来ることは,

   (経営の主体が変わらない限り)100%あり得ない。

 

契約を解除されたのは単なるビジネス上の話であり,プロ野球の選手

が戦力外通告を受けたのと同じである。10数年にわたり仕事をさせて

もらったことには感謝している。

 

「顧客のため,親会社のため」という動機をもって行い,目に見える結果

も出したことに対して,一種の「懲戒免職」的な処分を受けたことは残念

ではあったが,遅かれ早かれこうなる運命だったのだろう。

 

 

ただし,許せないことが一つだけあった。

 

これは,契約の解除とは直接には関係ないことである。そして,この件に

ついては,はっきり言ってぼくは親会社を「軽蔑」している。彼らとの関係は

既に清算されているので,過ぎ去ったことをほじくり返すようなことはしたく

ないが,これだけは書かせてもらう。

 

今年の4月からの契約書は既に1月に取り交わしていたので,形の上では

今年度の契約期間が始まって早々(4月14日)に,突然解雇通告を受けた

ことになる。正社員なら一定期間以前の事前通告が必要だが,会社と会社

の契約にはそんな規定は無い。契約書の条文から言えば「信用を失墜する」

ような行為をしたために年度中途で契約を打ち切った,といったところだろう。

 

だから,ぼくの方ではその「契約打ち切り」を素直に受け入れるつもりでおり,

こちらからは何も要求しなかった。ところが・・・

 

親会社は,ぼくの会社に対して非常識極まる要求を出してきた。

 

ここで全てをぶちまけてもかまわないが,武士の情けでそれはやめておく。

とにかく,誰が聞いても激怒するような内容である。

「そんな要求は呑めない」と,当然こちらは突っぱねた。

それからしばらく,向こうからは連絡が来なかった。

 

この間,またいろんなことが頭をよぎった。

その要求は,単に「クビを切る」という以上の,悪意のこもったものだった。

「窓のない家」の価値を否定されたことが,よほど悔しかったのだろうか。

クビになった方が会社を恨んでいないのに,会社の方が自らクビにした

一人の契約社員に対して「怨念」をぶつけているように感じられた。

 

この会社はたぶん,今までにもこういう非道なことを繰り返してきたのだろう。

もちろんぼくは,その「犯罪そのもの」の要求を受け入れる気は全くなかった。

そんな無茶苦茶な要求を出してきた動機は,向こうに聞かないとわからない

が,考えられることは二つある。一つは,「立場の弱い者に対してゴリ押し

すれば泣く泣く言うことを聞くだろう」という驕りであり,もう一つは今回ぼくが

したことに対する強い怒りにまかせた悪質な「いやがらせ」である。いずれに

しても,このような反社会的行為を放置しては社会正義に反するし,自分が

制裁を加える役目を引き受けてもかまわないという使命感さえ感じていた。

 

こちらは後腐れなくすっぱり別れようとしているのに,向こうがケンカを売って

くるのでは仕方がない。そのまま進めば,待っているのは全面戦争である。

その場合,向こうがうちの会社に対して損害賠償請求をしてくる可能性は

十分あった(現に向こうの口から損害賠償という言葉が出ていた)。

「窓つきの家」をリリースしたことで,親会社が実態として金銭的損害を

被ったことはまず考えられない。しかし,理屈などどうにでもつくし,裁判に

なれば正しい方が勝つとは限らないことは,世間ではよく耳にする話である。

うちの会社に対して数千万円単位の訴訟を向こうが起こしてきたら,

こちらも対抗訴訟を起こさざるを得ない。そうなれば完全な泥仕合である。

普通だったら,こんな心配はしない。しかし,この件で契約を打ち切ること

自体,正気の沙汰でないことは多くの人が感じていたはずだ。そして,この

悪意に満ちた言いがかりである。この先,何が起きても不思議ではなかった。

 

仮にこちらが対抗して親会社を訴えるとしたら,当然「年度中途での契約の

解除は無効だ」という内容になる。そして,その訴訟を起こせば,こちらが

勝つ公算は大きかった(後日弁護士の友人にこの話をしたら,それは君が

確実に勝つだろう,と彼は言った)。しかし,できればそんなことは避けたい。

親会社に対して恩義は感じているし,自分なりに「愛社精神」を持って仕事を

してきたつもりだ。去り際はきれいにしたかった。

 

しかし,うちも一応会社を運営している以上,損害賠償をやすやすと受け

入れることはできない。わが身を守るために戦わねばならないのか?

ところが,ここに大きな難題がある。その戦いになれば,向こうの現場

社員に火の粉がふりかかる恐れが強いということだ。最悪のケースでは,

この件のせいで罪のない社員がクビを切られることにもなりかねない。

「何かあったら自分が全責任を取る」と大見得を切って取った行動の

せいでほかの社員に迷惑をかけるようなマネは,人として許されない。

しかし,もし向こうが訴訟を起こしてきたら・・・最後は「経済的に破滅するか,

さもなければ人の道を踏み外すか」という二者択一を迫られることになる 

・・・・・ この悩みが,今回の一連の経緯の中で最も辛かった。

 

 

結果はどうなったかと言えば,しばらくして向こうがその「犯罪的な要求」

を取り下げてきた。だから,泥仕合には発展しなかった。向こうにして

みれば,ダメモトで言い出した「軽いいやがらせ」だったのかもしれない。

しかし,そのせいでこちらは,死ぬほど苦しんだのだ。

これだけは書かずにおられない。

 

あんたらに言うても無駄かもしれんが,

世の中にはやってええことと悪いことが

あるんじゃ!

 

 

ところで,その後伝え聞いた話では,「窓つきの家を取り壊して元の窓のない

家に戻す」という方針はその後撤回され,結局3月にリリースした窓のある家が,

今では標準的な仕様になっているという。

 

懲戒免職という犠牲を払ってまで訴えたことが実現した点については,満足して

いる。あれで「窓のない家」が復活したのでは,自分のやったことが空しすぎる。

 

親会社が窓つきの家に切り替えた理由については,ここでは深く詮索すまい。

「3月に窓つきの家をいったんリリースしているので,すぐに窓のない家に戻す

のは不細工だ」という現実的な理由による可能性も高いが,ぼくがクビをかけて

まで訴えた熱意が通じたもの,と好意的に解釈しておくことにする。

 

 

 

さて,ここからは,親会社の社員でこのページを読んでいる人たちに対する一種の

サービスである。この件については,おそらく社内でも「何も起こらなかった」かの

ように取り扱われているのだろうし,経緯がよくわからない人も多いと思うから,

ここで当事者からコメントしておく。恨みつらみが言いたいわけではない。

 

話が脱線するが,会社員が居酒屋で同僚にこぼす「会社のグチ」には,大別

して3種類あると思う。

 

@ 切実なグチ。休みが取れないとか,給料が安いとか,勤務条件の悪さに

関するもの。主に個人的な問題に関するグチ。

 

A ビールの泡のようなグチ。部長のネクタイの柄が派手だとか,会社あての

中元・歳暮を上の人たちが独占している(この親会社のことではないよ)とか,

その場で消えて後に何も残らないもの。

 

B 仕事への情熱から出るグチ。一種の評論家として,会社の組織のあり方

などを批判するもの。「会社全体の問題」を論じるグチ。「いったん決めた

スケジュールがどうしてコロコロ変わるんだ」とか(この親会社のことだ)。

 

ここで書こうとしているのは,Bのグチに相当するものである。

 

 

今回の件は,ある意味で「会社の体質」が引き起こした必然の帰結と言える。

あくまで個人的な感想だが,この会社には「社員の能力を信用しない」という

体質があるように思う。もっとストレートに言えば,「使う側の人間が『万能』で

あり,使われる側はみんなバカだ」と上の人が思っているふしがある。そして,

自称「万能」なシロウトが,社員それぞれの専門分野にまで口を出したがる

下から出した提案や意見が検討の俎上にさえ乗せられないのは,「バカの

出した案など,考慮に値しない。自分は各社員の受け持つ分野の専門家では

ないにもかかわらず,あらゆる分野で自分の判断の方が正しい」という理由

からである。これは極端な言い方だが,本質はこれに近い。

 

そのこと自体,一概に悪いとは言えない。それぞれの社員は「この仕事に

ついては自分が一番よくわかっている」と思っているが,厳密に言えばそれが

事実であるという保証はないし,シロウトの判断の方が好結果を生む場合も

ないわけではない。そもそも,この会社は今までそうやって業績の伸ばして

きているのだから。

 

今回の件も,その社風の延長上にある。

最初のうちはぼくも,契約解除に至る経緯を誤解していた。つまり,「社内の

意志決定の正しい手続きを踏まなかったこと」が,処分の主な理由だと思って

いた。しかし,これを読んでいる社員の皆さんのために明言しておくが,

実際はそうではない。後で間接的に知ったことだが,社内のルールに違反した

ことなど,後付けの理由でしかない。本当の理由は,こうだ。

 

元の「窓のない家」の方が商品として優れているのに,

勝手に窓をつけたのはけしからん。

 

これが,ぼくを懲戒免職的に解雇した理由の,ほとんどすべてである。

「会社の方針決定を守らず,自分勝手な仕様の商品を作った」ことが解雇の

理由だ,と考えている人もいるだろうが,それはちょっと違うのだ。

 

ぼくの専門の守備範囲である英語という分野においてさえ,シロウトの判断が

絶対であり,その判断を批判したことが解雇の理由である。

 

言うまでもなく,「元の家の方が優れている」という判断はシロウトの浅知恵

であり,何の根拠もない。他人の意見に耳を貸さず,自分の頭の中だけで

「正しい」と思い込もうとしているにすぎない。しかし,そのシロウトの判断を

「けしからん」とは思わない。専門職としてのプライドは大いに傷つくが,同じ

痛みを感じているのは自分だけではない。みんなが似たような不満を持ち,

ある人はそれをかろうじてこらえて会社に踏みとどまり,別の人は耐え切れず

会社を辞めていく。それだけのことである。要は自分の身の振り方の問題で

あり,会社のあり方が正しいとか間違いだとか言うのはピントがずれている。

会社とは,そういうものである。決して社員を守ってはくれない。文句がある

なら辞めればいいだけの話だ。

 

しかし,そう言ってしまっては身もフタもないので,頑張ってあの会社に踏み

とどまっている人たちへの共感をこめて書く。

 

職業人なら誰でも知っているように,人を仕事に駆り立てる最大の動機は,

お金でもなければ組織の規律でもない。そういう人たちも中にはいるだろう

が,世間の多くの人々を仕事に向かわせている最大のエネルギーとは,

仕事への情熱」である。そして,仕事への情熱を持つ人は誰でも,自分の

仕事に「誇り」を持っている。それがたとえ単調な作業に見えるようなことでも,

「この仕事のことは自分が一番よく知っている」という気持ちを抱えているはずだ。

 

もしもあなたがそういう職業人であったなら,自分が専門的に関わっている

仕事の中身を何も知らないシロウトが,「おまえの仕事のやり方は間違っている。

オレのやり方の方が正しい」と言ってきたら,どういう反応をするだろうか?

 

もちろんそのシロウトがあなたの上司なら,嫌々でも普通は従うだろう。

しかし,そのような繰り返しの中であなたの心の中に溜まっていくストレスの

行き場はどこにあるのか?

 

みんながそれぞれ自分の専門分野の仕事をどうやったら効率的に動かせるか

を考えているときに,何も知らないシロウトが口出ししてくるために,職場全体の

仕事の流れが著しく非効率になる --- その繰り返しの結果が,無意味に長い

勤務時間であり,次々と辞めていく社員の多さに直結しているのではないのか?

 

どうなんだ,社員諸君?

 

 

自分がもといた職場には,できれば少しでも労働環境が改善されてほしいと思う

し,その反面会社の体質というものがそう簡単には変わらないこともわかっている。

超人的な仕事をこなしている現場社員の皆さんの健康を願わずにはいられない。

 

最後に,会社に対して別れの挨拶を送る。

 

あなたたちの会社は,イケイケの社風で業績を伸ばしているように見える。

最終的な目標は,もちろん業界を制覇することだろう。しかし・・・

 

あなたたちの会社が今の社風のままで業界の覇者になるようなことが

万一あるならば,そんな世の中は間違っている。

 

これは,あなたがたの会社の悪口ではない。世の中の方が間違っている,

と言っているのだ。願わくば,そんな間違った世の中でないことを祈る。

 

 

<新しい仕事のこと>

 

ぶっちゃけて言おう。

契約を切られた親会社からの売り上げが,うちの会社の総売り上げ中に

締める比率は,およそ4分の3だった。

 

売り上げの4分の3が,前触れもなく突然失われたら,どうなるか?

普通の会社でもまま起こることことが,うちの会社にも起きたわけだ。

当然,新しいクライアントを探すしかない。

しかし,前の親会社は実質「丸抱え」だったので,そんな都合のいい契約が

取れる可能性は全くない。そのへんは,最初から覚悟していた。

できるだけ多くの得意先を開拓して,コマ切れの仕事をつなぎ合わせて

収入を確保していくことになる。そのプロセスは,こんな感じだった。

 

当面は,小池さんから貰っている,市販本の原稿書きの仕事がある。

今までは本業の片手間に年間1〜2本を書いていたが,今後はこれが

収入源の柱の一つになるので,仕事が来る限りどんどん書くことになる。

 

これ以外に,これまでの仕事のつながりがあった出版社がひとつと,

単発の仕事を受けていた出版の子会社がひとつ。東京の仕事仲間に

紹介してもらった同じような会社が2つ3つ。ただしこれらは,すぐに仕事が

来るわけではない。原稿書きの仕事としては,こんなところか。

 

こうなったときの「保険」のようなイメージで考えていた仕事がいくつかある。

 

まず,「非常勤講師」である。強力なコネがあるわけではないが,とりあえず,

前に勤めていた地元の学校法人で何か仕事がもらえないかと思って,広島の

昔の同僚の所に行き,偉い人にコネをつけるための連絡先を教えてもらった。

ただ,そこの法人グループも,大学から幼稚園まで幅広く経営してはいるが,

昨今は少子化の影響でどこも厳しいらしく,講師の口は望み薄の感じだった。

教えてもらった連絡先に電話してみたが,不在だったのでそれっきり。

 

まあ,これは最初からあまり期待していなかった。

次の候補は「家庭教師」である。ネットには,家庭教師派遣サービスとして

無料で個人向け家庭教師のリストに登録してくれるサイトがたくさんある。

このサイトに自分のプロフィールを書いておけば,指定したエリアで希望する

条件に合う親が,その紹介業者を通じて家庭教師を依頼してくるシステムである。

さらに,通信添削のスタッフにも応募した。普通の添削は家庭の主婦みたいな

人が多いが,某Z会(略しても同じだ)のサイトには「難関大レベル限定」という

ことでスタッフ募集の広告が載っていた。サイトの登録フォームから応募し,

審査を待つ。続いて,地元の学習塾でアルバイトをしている知り合い(うちの

HPの常連さんにもおなじみ)に「仕事があったら手伝います」と連絡した。

もちろん,今までに仕事で付き合いのあった人たちには,手当たり次第に

「仕事ください」という(そんなストレートな言い方ではないが)メールを送った。

 

という感じで,ちょっとでも手を広げておこうと,打つ手は全部打ったわけだが,

ここで一つの大きな誤算が出てきた。単に見通しが甘かっただけだが・・・

 

日銭を稼ぐ仕事を始めてすぐに,「どのくらいのペースで稼いだら,暮らして

いけるくらいの収入が入るのか?」という点に思い至ったのだ。

向こう1年くらいは休みも取らないくらいのペースで仕事をしてみて,実際に

どの程度の収入があったかでその後のことを考えよう,とは思っていた。

何しろ単発の仕事というのは基本的に「掛け売り」であり,仕事が完了したからと

いってすぐに金が入るわけではない。市販本の原稿書きなど,脱稿から印税の

入金まで2年以上かかることもある。当然,通帳に入って来るお金は,月ごとに

違ってくる。そこで,単純計算してみた。

 

仮に,年間300日働くとする。(この想定自体,けっこうハードだが)

1日の水揚げが2万円だと,年収600万である。1日3万なら900万,5万なら

1,500万・・・しかし,1日で5万円稼げるような仕事が年がら年じゅう入ってくるのを

期待するのは無理だろう。少なくとも,1日やって2万円に満たないような仕事は,

やるだけ赤字になる(時間のロスの方が大きい)とわかった。

 

そこで初めて気付いたわけだが,

 

デスクワーク以外の仕事は,採算的に成り立たない!

 

のである。

 

たとえば,非常勤講師。たとえ仕事の口があったとしても,塾ならせいぜい時給

2,000〜3,000円。学校はよくは知らないが,それにちょっと毛が生えた程度だろう。

仮に3,000円の時給だと,正味8時間働いて24,000円である。いかにも割が悪い。

定年退職の後の小遣い稼ぎじゃないのだから,これでは商売にならん。

 

同じ理由で,家庭教師もアウトだ。こちらは時給4,000〜5,000円でいけるだろうが,

それでも月にのべ10時間やって4〜5万である。行き帰りの時間のロスを考えると,

夜なべして原稿を書いた方が割りがいい。

 

通信添削も,単価は安い。ただ,この時点ではどれだけ仕事が入るか見通しが

はっきりしなかったので,時間が空けば多少の足しにはなるかと思った。ところが,

なんと某Z会からは,履歴の審査だけで不合格にされてしまった。これは,なんか

ショックだった。経歴的には申し分ないはずだ。何しろこっちは,添削スタッフの

指導をする立場の人間だったのだから。やっぱり,前歴が悪かったのか?(笑)

 

そうやって考えてみると,最初にいろいろ頭に浮かんだことのうち,現実問題と

して「やってもよい」仕事は,それほど多くないことに気付いた。こんなことを考えて

いたのは5月中旬までのことであり,この頃は精神的にもきつかった。なにしろ,

一応コネを広げるために打つ手は打ったとは言え,どこからもすぐに仕事の依頼

が来るわけじゃない。契約を切られてからひと月ほどは,市販本の原稿を書く

仕事しかなかったのである。

 

そういう意味で小池さんには,これで三度救われたことになる

感謝の言葉もない。小池さん,ありがとうございます。

 

ただ,「このままじゃいかん」と強く思ってはいた。

一つには,今回の反省からも,危険はなるべく分散しておかねばならない。

一つの仕事の口に収入の大半を頼っていては,そこがコケたらえらいことになる。

小池さんはもちろん元気でご活躍だが,世の中何が起こるかわからない。

それより何より,「小池さんだけが頼りです」と言うのが辛い。

その時点ではそれが実情だったのだが,自分が逆の立場でも,「君の人生に

全面的に責任を持つことはできないよ」と思うだろう。そういう意味で,小池さんに

精神的な負担をかけたことが申し訳ない。なるべく早く「おかげさまで,あちこちの

仕事を忙しくやっています」と言えるようになりたい。

 

 

そして,その時期は意外に早く訪れた。

6月に入る頃から,あちこちに撒いた「種」が目を出し始め,仕事の依頼が次々に

来るようになった。撒いたけれど育たなかった種もあり,思わぬところから目が出た

種もある。なかなか予想どおりにはいかなかったが,とにかく仕事は途切れること

なく入るようになった。小池さんにもその旨は知らせて,だいぶ肩の荷が降りた。

 

5月中は,「会社をどうするか?」をずっと考えていた。

うちの会社は女房と二人でやっているので,潰しても従業員に迷惑はかからない。

ただ,せっかく作った会社を閉じるのはなんか寂しいので,とりあえず1年間様子を

見ることにした。その間の売り上げ目標の最低ラインを設定して,1年後にその数字

を達成できなければ,またそのとき考えようと思っている。4〜5月の頃は見通しが

全く立っていなかったので,いろんな面を節約した。税理士さんも,うちの会社の

置かれた状況を見て,月々の支払いを半額にしてくれた。仕事場として借りている

アパートも出て自宅で仕事をすることも考えたが,やはり作業の効率を考えると,

仕事の場所だけは確保しておきたい。また,今までは東京への出張は親会社が

旅費を支給してくれていた。今後は東京へ行くにも自腹を切ることになるので,

そう頻繁には行けなくなるだろう・・・

 

それやこれやの心配事も,今の時点になってみれば「案ずるより産むが易し」的な

ところもある。収入がどれだけ入るかはまだ見えていない面もあるが,どうにか

1年後の目標はクリアできそうな見通しが半分くらい出てきた。今回の件を一種の

リストラととらえるなら,リストラ後2ヶ月足らずで次の仕事の目途が立ったことは,

非常に幸運だった。小池さん,仕事仲間のMさん,仕事をたくさん回していただいて

いるYさん,明日会う予定のFさん,塾の仕事の口でお世話になったYさん,励ましの

お言葉や仕事のあっせんをいただいた大勢の皆さん,この場を借りてお礼を申し

上げます。仕事の口を探しながら,人の心の暖かさに触れました。いつの世も,

会社は冷たく,しかし一人一人の人たちの心は暖かいものですね。

 

 

<生活のこと>

 

先に書いたような事情で,5月中は精神的に辛かった。

その最大の理由は「一刻も早くきっぱり別れたい」と思っている親会社が,執拗に

まとわりついて来たことであり,第二の理由は「収入の見通しが立っていなかった」

ことである。

 

とにかく,目の前の仕事をこなさねば金は入らない。

この頃はまだ,一つの仕事を終えたからと言って次の仕事が入る保証もなかったが,

仕事をせずにおられないのである。反面,仕事以外のことは何もやる気が起きない

特に辛かったのは,毎朝子供らの弁当を作る作業だ。朝は5時ごろ目が覚めるので,

眠くはない。しかし,仕事以外のことをする時間が勿体ない気がして,体が動かない。

 

そんな精神状態なので,当然釣りなんか行く気にもならない。

しかしゴールデンウィークも一歩も外に出ずに仕事というのも,かえって体と心に悪い

ような気がする。で,「無理をして」釣りに行き,ちょっと竿を出しては帰っていた。

春のオフ会は契約解除の通告の翌日であり,6月の隠岐遠征も当然パス。

正直,「ゆっくり釣りができる日々」が今後果たして来るのか?という不安もあった。

 

4月から5月にかけて,釣り場へ車を走らせるたび,海の風景が胸に染みた。

自分は今,精神的には相当滅入っているが,通い慣れた海のたたずまいは変わらない。

人間のちっぽけな営みなど,自然の流れの中ではうたかたに過ぎない・・・と,いささか

月並みではあるが,何とも言えない感傷的な気分になるのだった。

 

5月中旬ごろからは,単発の仕事もぼつぼつ入りだした。

仕事は,作業量によって対価が違う。1本2万円の仕事から30万円くらいの仕事まで,

さまざまである。とりあえず目の前の仕事は片付けずにおれないし,たとえば10万円の

仕事が来ると「普通のペースでやったら3〜4日かかるが,無理しても2日で上げよう」

とかいうスケジュールを組んでしまう。別に締め切りに追われているわけではないが,

精神的に余裕がないので,急いで仕事をしたがる。2〜3万の仕事は,日曜日に回す。

日曜日には,原稿料の入らない釣り雑誌の原稿も書かねばならない。

 

そういう仕事を続けると,とにかく一日中「お金の計算」が頭から離れない。

「一種のサラリーマン」から「完全な商売人」になったのだから仕方がないことだが,

もともとお金に対する執着心はない方なので,これも辛かった。金に不自由することは

しょっちゅうあるが,本当に金に困ったことはないし,たぶん今後もないだろう。そういう

生活が送りたいヒトにとって,帳簿とにらめっこするのは苦痛である。好きなときに好きな

だけ金が使えるような生活はしたくもないが,金の計算を忘れて過ごせる日々がいつか

来るだろうか?それ以前に,このままじゃホンマに体を壊すんじゃないか?と,この頃は

思った。

 

もう一つ辛かったのは,クビになったことを周りにどう伝えるか?である。

もちろん,ヨメにはすぐ伝えた。何しろ5月は会社の通帳にお金が入る当てがなかったので。

ヨメは最初,さすがに落ち込んでいたが,ぼくよりもはるかに立ち直りが早かった。

こういうときは,あの性格が羨ましい。

 

最大の問題は,親にどう伝えるかである。4月や5月の時点では,とても言い出せなかった。

何しろ,「これからどうやって暮らしていくんじゃ?」と問われたら,確かな答えが言えないので。

したがって,このHPにも書けない。うちの親はこれを読まないが,誰かから伝わらないとも

限らない。子供らも基本的にはこれを読まないが,まあ読んでもいいと思っている。どうせ

いずれはわかることだし,親の仕事の中身などもともとわかっていないので。どういう手段で

あれ,生活していける程度のお金が入れば問題ないだろう。

 

 

そして,6月に入り,7月が過ぎて,今は8月の下旬である。

この間仕事は徐々に増え,今では毎日お金の計算をする日々からは解放されている。

釣りの方は気候が気候なのでまだ本格的に再開してはいないが,気分的にはだいぶ元に戻った。

最近雑記帳や日記帳も更新していなかったが,精神的にゆとりができつつあるので,今後は

徐々に更新のペースを回復させようと思っている。

 

 

そして,今振り返って思うことがある。

 

契約を切られてから1か月ほどは,「失ったもの」の大きさをひしひしと感じた。

その一つは「安定した収入」だが,これは大した問題ではない。

もともと,金というのは出たり入ったりするもの,という人生観を持っているのだ。

まして,自分が好きで入った道で路頭に迷っても後悔すまい,と決意してもいる。

それよりも「金のことを忘れて過ごせる日々」とか「休日を楽しみに待つ気持ち」とか

(休んだら金が入らないのだから,休みは全然待ち遠しくないし休んでもいられない)

とか,「仕事以外に使える自由時間」とか,さらに言えば「長生きできる可能性」とか,

何か人生で大切なものをいろいろ喪失したような,落ち込んだ気分だった。

 

 

しかし,人間というのは強いものだと,最近は改めて感じている。

あれほど沈んだ気持ちが2か月ほどで回復し,それからはある意味,前より調子がいい。

しばらく休ませていた「生きる気力」みたいなものが,復活してきたような感じさえする。

 

正直なところ近年は,「これからゆっくり心身ともに衰えていくのだなあ」という諦観の

ようなものを感じていた。人生の目標はおおむね達成した,という満足感のせいだ。

仕事にも家庭にも大きなトラブルはなく,「自分の生きた証を残したい」という夢も

果たせた(英語の本は全部絶版になっても,かぶせ釣りの本は残るだろう)。

極端に言えば「もういつ死んでもいい」という心境ですらあった。

 

今はどうか?ここで死ぬわけにはいかない。あと15年くらいはバリバリ仕事して,

稼がにゃならん。そのためには,心身の健康も大切である。仕事の付き合いも増えて,

月に一度のペースで東京へ出ている。今はコネを広げる時期なので,一度受けた仕事は

全力でやる。きのうの土曜日も今日の日曜日も,朝から晩までびっちり仕事している。

仕事場からは一歩も出ず,昼飯も食べていない。かえって体を壊すんじゃないかと

思うかもしれないが,今は気力が充実しているのが自分でもわかるので大丈夫だ。

病は気から,と言うではないか。ここ十年ほど,わりとのんびり仕事してきた分,

たまにはネジを巻き直した方がいいだろう。

 

今の自分の気持ちを支えている一つの理由は,仕事へのモチベーションの高さである。

前編で書いたとおり,これまでの仕事は,半分くらいは「賽の河原の石積み」だった。

今は,やった仕事がすべてお金に直結するわけだから,一切のムダがない。

市販本の原稿は,4月以降に4冊書いた。ただし出版時期はまちまちで,うち1冊は

出版されるかどうかもわからない(営業から待ったがかかったらしい)など,ややこしい

こともあるにはある。印税は出版社によってまちまちだが,1冊600円の本だと,5%

として1冊売れるごとに30円入る。1万部で30万,10万部で300万,ミリオンセラー

なら3,000万である(言ってみただけ)。宝クジを買う回数が増えたようなものだ。

 

 

お金の面ではどうにか目途が立ったので,前回「前編」をアップした日に,両親に

今回の件を報告した。両親も「親会社との契約はいつまでもは続くまい」と思っていた

らしく,思ったよりスムーズに収入の道が切り替わったことを喜んでくれた。

釣りの方も,まもなく秋のシーズンが始まる。今は,暑くて外に出られない分せっせと

仕事して,秋になったらゆっくり釣りを楽しみたい。今振り返ってみると,3か月ほど前

には「多くのものを失った」と思っていたのがウソのようだ。確かに,失ったものもある。

しかし,金の問題などたかが知れている。もしもこれが「人生の試練」の一つだとしたら,

この試練は今までに経てきた試練の中でせいぜい10番目くらいでしかない。逆に今は,

クビになったことによって得たもの」の大切さを感じながら,これからの仕事と生活を

送っていこうと,前向きな気持ちになっている。

 

 

かつての親会社の皆さん,お元気ですか?

ぼくは今,幸い仕事にも不自由せず,元気でやっています。

皆さんと仕事上のお付き合いをする機会はもうないと思い

ますが,遠く広島の空の下で,皆さんのご活躍とご健康を

お祈りしています。お互い,がんばりましょう。

 


〜 前編はこちら 〜