本書は一種の「暴露本」でもあり,同時に「英語の学習本」でもあります。
内容は次のとおりです。
第1章
文部科学省の罪
第2章
英語入試問題の罪
第3章
英語教師の罪
第4章
英語出版物の罪
第5章
英語入試問題の改善案
参考資料
入試に出題された悪問の例
本書の基本的な内容は,「日本の英語教育[日本人の英語学習]の問題点と
その解決策」です。その種の本は,これまでにも数多く出版されてきました。
それらの本の中の主張と本書の内容は,次の点で大きく違っています。
本書が指摘しているのは,たった1つの事実(問題点)とその解決策です。その
1つの事実こそ,日本の英語教育の質を低下させている主因だと私は考えています。
そしてその事実は,関係者がその気になればすぐにでも是正することができます。
なぜなら,お金がかからないからです。
自分ではこの改善案に自信を持っており,英語教育関係者の中でこの提案に
反対する人はほとんどいないだろうと考えています。
興味のある方は本書をお読みください。
ここでは,本書に書ききれなかったことを補足しておきたいと思います。
本書の中では,「英語教育村の住人」として次の4者を挙げています。
(1)
文部科学省の官僚
(2)
大学・高校の英語入試問題の出題者
(3)
高校・中学の英語教師
(4)
英語出版物を発行する出版社・著者 (私自身も含みます)
もちろんこうした人々の全員が悪い,ということではありません。
高い志を持って日本の英語教育の改善のために努力している人々も多くいます。
しかし全体的には,「改革のリーダー」がいないことが大きな問題であるように
思われます。それは無理もないことだとは思いますが。英語学習という世界は
(農業ほどではないにせよ)広大なすそ野を持っており,そこに所属する人々の
考え方も千差万別です。その違いは,基本的に各人が置かれた立場の違いでしょう。
たとえば英語教育学者は「望ましい英語教育」を最優先に考えますが,文部官僚は
必ずしもそうではありません。決して悪い意味ではなく,「理想的な教育理念」を
指導現場に降ろしていく際に,現場のトラブルを最小限に抑えるための最善の
方法は何か?と官僚は考えます。それが彼らの仕事だからです。
自動車メーカーにおける設計担当者と営業担当者との意見の違いのようなものです。
そうしたプロセスの中に「かじ取り役」がいないと,1人1人は自分の持ち場で
忠実に職務をこなしているのに,大きな船がどこに向かっているのか誰にも
わからない,とでもいうべき事態が起きます。今の状況はそんな感じです。
そして残念なことですが,官僚や大学関係者の中にそうしたリーダーの出現を期待
するのはまず無理だと思います。一般的に言って,組織が大きくなればなるほど,
その中にいる人々は派閥同士の勢力争いに敏感になります。カリスマ経営者のいる
一般企業ならいざ知らず,役所や学者の世界には根強いセクト意識があります。
だからどうしてもお互いに遠慮しあう空気が生まれ,そのようにお互いに対して
配慮し合うことが大局的な判断であり適切な行動だという勘違いが生じがちです。
この悪循環を打破するためには,官僚や大学の世界とは関係のない場所に,
強いリーダーシップを持つ個人(あるいは団体)が出現するのがベストでしょう。
それは政治家でもかまいませんし,在野のカリスマ英語使いでもかまいません。
もちろんそうしたリーダーをバックアップする実務チームは必要です。
私個人としては,今後も「ダメな入試問題」の告発を続けていくつもりです。
それが,ささやかながら自分にできる唯一の「小さな改革」の一歩だからです。
本当は大学の実名を出したいのですが,本の中にそれを出すのは出版社に迷惑を
かけるので,個人のホームページの中でそういう活動を始めることも検討中です。
※
以下の記事は,2013年8月10日に追加しました。
現時点でアマゾンの書評には2件のコメントが入っていますが,2件とも「1」(最低ランク)の
評価です。本を買っていただいた読者に満足してもらえないのは著者としては申し訳ない
限りですが,ここで少し説明を加えておきたいと思います。
この本に対して低い評価を与えた1人の方のご意見は,この本が提示している「中途半端な
改革案」では英語教育の大きな改善は望めない,というものです。
この点に関しての私の見解を確認しておきます。
この本の第1章で述べているとおり,私の議論は「私立大学の入試を全廃するのは無理だ」
という日本特有の事情を前提としています。この現状に目を向けない「英語教育改革案」は
すべて実効性が薄い,というのが私の考えです。たとえば文部科学省の「センター試験から
到達度テストへの切り替え」という構想がたとえ実現したとしても,私大入試が残っていては
現状から何も変わりません。逆に言えば「私大入試がなくならないという前提で考えるとき,
私たちには何ができるか?」というのがこの本のテーマであり,その制約の中で実効性の
ある1つの提案ができた,と自分では思っています。
もう1人の方は,たとえば次のように書いておられます。
巻末に「実践英文法FOCUS」という、著者の文法書の広告をのせている。
本書で「文法問題の全廃」を主張しているのに。ここまでくると、笑うしかない。
この点は,いわゆる「内部告発者」をどう評価するかという一般論に帰着する問題です。
たとえばブラック企業に勤めるある人が「自分が勤めている会社はこんな悪いことをしている」
と内部告発したとき,その人を「お前もその会社から給料をもらっているのだから同罪だ」と
非難する人もいるでしょう。「自分の会社を批判するくらいなら,辞めればいいじゃないか」と
言う人もいるかもしれません。あなたはどうですか?
少し補足説明しておくと,この「英語教育村の真実は」は内容もタイトルもすべて私一人で
考えましたが,私が普段している仕事の中ではこういうケースは非常にまれです。
私はライターであり,基本的にはクライアント(出版社)の意向に沿う原稿を書くのが仕事です。
グルメ雑誌の記者が書く記事をイメージしてもらえればわかりやすいかもしれません。
記者Aはデスクの指示を受け,あるレストランに取材に行きます。グルメ雑誌の目的は
おいしい店の紹介ですから,Aが書く記事に何らかのフィルターがかかることは避けられません。
この場合,私は「業界」側の人間なので,記者A個人を責めようとは思いません。
たとえば私は「中学英語を○日間でやり直す」という類の本を何冊か出しています。
ちなみにこのタイトルは,私がつけるわけではありません(それは編集部の仕事です)。
その本には,中学英語のベースとなる知識が一通り入っています。
そこは著者の守備範囲ですから,自分が書いた本の内容には責任感と自信を持っています。
一方で,「その本を読むだけで中学英語が○日間でマスターできるのか」と問われるなら,
その答えはノーです。勉強はそんなに甘いものではありません。自動車学校の教本を読んだ
からといって車がスイスイ運転できるようになるわけではないのと同じです。英語学習も車の
運転も,上達のためには反復練習が必要であることに変わりはありません。
しかし,自動車学校の教本に対して「これを読んでも車の運転ができるようにならないのなら,
この本はインチキだ」と非難する人はまずいないと思います。そこが英語学習本との違いです。
私自身は「中学英語を○日間でやり直す」という本が「誇大広告」だとは思いません。
しかし一方で,その本を読めば中学英語が短期間でマスターできると期待して買う読者も
いるだろうな,とは思っています。そこには当然,罪悪感がつきまといます。
その私の罪悪感,つまり内部告発の動機をどう評価するかが,人によって違うということです。
そもそも私が英語教育村にどっぷり浸かって読者を騙しながら利益をむさぼり続けたいのなら,
こんな本を書くわけがありません。黙って今まで通りの仕事をしていれば済むことです。
そこだけは読者の皆さんにわかってほしいな,とは思います。
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