情報構造の面からは,受動態を使う目的は「新情報を後ろに置く」ことにあると言えます。
ここでは,冠詞の違いに焦点を当てて考えてみましょう。
(a) The girl wrote a novel.
(その少女は1本の小説を書いた)
(b) A girl wrote the novel.
(ある少女がその小説を書いた)
(c) The girl wrote the novel.
(その少女はその小説を書いた)
(d) A girl wrote a novel.
(ある少女がある小説を書いた)
the は旧情報,a
は新情報を表すので,上の4つの文では下線部が新情報です。
これらのうち,自然な文は(a)だけです。
(a)は新情報が文末にあるので自然です。逆に(b)は新情報が文頭にあるので不自然です。
(c)には新情報が1つもないので不自然,(d)のようにSとOの両方が新情報の文も不自然です。
では,(b)を自然な文に直すにはどうすればよいでしょうか?
それは,受動態を使うことです。(b)を受動態で言い換えると次のようになります。
(b) → The novel was written by a
girl. (その小説はある少女によって書かれた)
旧
新
これで,新情報が文末に置かれた自然な文になりましたね。受動態はこのように使います。
この文は,「(君も知っている)その小説について教えてあげよう。それを書いたのはある少女
なんだよ」という情報を伝えようとしています。元の(b)が不自然でこの文の方が自然だ,という
感覚を養うことが大切です。
次に,「不自然な受動態」「間違った受動態」の例をいくつか挙げてみます。
○(a) Emi
speaks Chinese. (エミは中国語を話す)
×(b) Chinese
is spoken by Emi. (中国語はエミによって話される)
(a)の文を受動態を使って言い換えると(b)になりますが,(b)は誤りです。
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で説明したとおり,中国語を話す人はエミだけではないからです。
(b)では文末の by Emi
が新情報になっている点に注意してください。
○(c) Cats
catch mice. (ネコはネズミを捕らえる)
×(d) Mice
are caught by cats. (ネズミはネコによって捕らえられる)
これも同様。ネズミを捕らえる動物はネコだけではないので(d)は不自然です。
学校の英語学習では「能動態を機械的に受動態で言い換える」という練習を
よく行いますが,たいていは能動態・受動態の一方が不自然な文になります。
「受動態は能動態から生まれた形だ」と考えないようにしてください。
両者はそれぞれ独立した表現形式であり,伝えようとする意味が違います。
次のケースでは,受動態に関する別の制約が働いています。
○(e) The
climber reached the summit. (登山者は山頂に到達した)
×(f) The
summit was reached by the climber.
(山頂は登山者によって到達された)
(e)はSVOの文型なので,形の上では(e)を(f)のように受動態で表現することは
可能のはずですが,(f)は誤りです。それは次のルールによります。
●受動態は,主語が動作主によって何らかの影響を受ける場合に使う。
たとえば The novel was written by a girl.
という受動態では,小説は少女が
書くことによって完成したわけですから,「主語が動作主によって影響を受けて
いる」と言えます。しかし(f)では,山頂は登山者が到達したことによって何の
影響も受けません。だから誤りです。同様の例を挙げてみましょう。
○(g) The
three children were raised by Rie.
(その3人の子どもたちはリエによって育てられた)
×(h) Three
children were had by Rie.
(3人の子どもたちはリエによって持たれていた)
能動態にすると,(g)はRie raised the three children.,(h)はRie
had three children.です。
どちらもSVOですが,(h)の受動態は誤りです。「〜を持っている」の意味の
have を
受動態にできない(be had
を「持たれている」の意味では使えない)のは,たとえば
(h)の主語(three children)が動作主(Rie)によって影響を受けないからです。
A have B.
の形はAとBとの間の所有関係を示しており,AがBに対して何かの働きかけを
するという意味ではありません。resemble(〜に似ている)なども受動態では使いません。
最初に誤文として挙げた(b)は,この角度から説明することも可能です。
×(b) Chinese
is spoken by Emi. (中国語はエミによって話される)
○(b') Chinese
is spoken by many people in Asia.
(中国語はアジアの多くの人々によって話される)
エミ一人が話しても中国語には何の影響も及びませんが,アジアの多くの人々が中国語を
話せば,それはアジアの中で中国語が一定の地位を占めていることになります。つまり
動作主の行為が主語に影響を与えているわけです。よって(b')は正しい文となります。
参考までに以下の説明も加えておきます。
これは私の個人的な考えであり,文法書などの裏づけがあるわけではありません。
S is C. (SはCだ)
の形では,「SよりもCの方が広い範囲を表す語を使う」のが普通です。
より正確に言えば,「S=CまたはS<C」ということです。
○ Tokyo is
the capital of Japan. / ○ The
capital of Japan is Tokyo.
(東京は日本の首都だ)
(日本の首都は東京だ)
この例では,SとCの表すものが同じなので,入れ替えることが可能です。
○ John is a
student. / × A
student is John.
(ジョンは学生だ)
(学生はジョンだ)
左の文はS(ジョン)<C(学生)の関係だからセーフです(ジョンは1人の人間ですが,
学生は世の中に大勢います。つまりCの方が広い範囲をカバーする名詞です)。
右の文が誤りなのは,S(学生)>C(ジョン)の関係になるからです。
この理屈を受動態に広げて考えてみます。
(a) John is loved by Mary.
(ジョンはメアリに愛されている)
S
V C
ここでは,loved by Mary が主語のJohnを説明していることから,これをCだと考えてみます。
この文を次の文と比べてみましょう。
(b) John is loved by everyone.
(ジョンはみんなに愛されている)
私の感覚では,(a)はもちろん正しい文ですが,(b)の受動態の方がより自然な感じがします。
それは,メアリという一個人よりも,everyoneの方が広い範囲をカバーする名詞だからです。
ここには「S<C」という関係の反映が見て取れます。
先に挙げたChinese is spoken by many people
in Asia [×by
Emi]. も同様です。
Chinese(中国語)とmany people in Asia(アジアの多くの人々)とは,カバーする範囲という
点でバランスが取れている(中国よりアジアの方が広い)ので自然ですが,Chinese
と Emi を
比べるとどう見ても Chinese > Emi
という感じを受けます。だから不自然に響くわけです。
要するに受動態を使った文は,文末に置かれた新情報が主語に比べて「大きなもの」で
あればあるほど自然さが増すのではないか,と私は推測しています。
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