114でも説明しているとおり,関係副詞のwhenやwhyは,原則としてthatで置き換えることができます。
たとえば「私がキャンプを好きな理由は3つあります」の意味を表すいくつかの文を見てみましょう。
(
)内の関係詞は省略可能です。
○@There
are three reasons why
I like camping.
○AThere
are three reasons (that)
I like camping.
○BThere
are three reasons for which
I like camping.
×CThere
are three reasons (which/that)
I like camping for.
@〜Bは問題ありませんが,Cのように文末にforを加えた文は(普通は)誤りと判断されます。
これは,
Aのように言えるのだから,Cのforは余分だ
という心理が働いた結果だと考えられます。別の見方をすれば,
Aで文末にforがなくても,意味を誤解されるおそれはない
という意識が,Aの文を可能にしているのだと思われます。
次の例は,「現代英文法講義」(p.200)からの抜粋です。
(a)
That is the office (that) he works at.
(あれは彼が働いている会社です)
(b)
That's the place she works (at).
(あれは彼女が働いている場所です)
〈場所を表す名詞+接触節〉の形では,一般には(a)のように文末に前置詞が必要です。
しかし先行詞がplaceの場合は,(b)のように文末の前置詞を省略できます。
その理由もやはり,(b)ではatを省略しても文の意味を誤解されるおそれがないからです。
(a)では,worksの後ろにat以外の前置詞(たとえばinやonやby)を置くこともできます。
一方(b)のplaceは漠然とした意味の言葉であり,「その場所で働く」という意味が強く
思い浮かぶので,前置詞によって意味を区別する必要がない,と考えられます。
そこで,もう一度最初の文に戻ってみます。
1945
is the year (which) the war ended in.
一般に時を表す名詞は,in
the year(その年に),on the day(その日に)のように,
結びつく前置詞が決まっています。同じことはfor
the reason(その理由で)にも言えます。
だから,文末にわざわざ前置詞を入れなくても意味を誤解されるおそれがない。
よって文末の前置詞は省略される,と考えることができます。
次の5つの文で考えてみます。
裏を取ってはいませんが,@→Dの順に「前置詞は不要」という感覚が大きくなると思います。
@He
has no house to live in. (彼には住む家がない)
AHe
has no place to work (at). (彼には働く場所がない)
BHe
has no reason to work (for). (彼には働く理由がない)
CHe
has no money to buy a car (△with).
(彼には車を買うお金がない)
DHe
has no way to make money (×in).
(彼にはお金をもうける方法がない)
@は,学校で習うとおりinが必要。
Aは,placeに続く関係詞節の場合と同様に,文末のatは省略できます。
Bも同様。理屈から言えばfor
the reasonだから文末にforを入れてもよさそうですが,省略するのが普通でしょう。
Cもwith
money(お金で)だから理屈ではwithを入れてもよさそうですが,普通は入れません。
Dはin the
way(その方法で)だから,理屈で言えば「文末にinは必要ないのか?」ということになります。
しかし,Dではinを加えると誤りです。日本人でも,ここにinが必要だと感じる人は少ないでしょう。
つまり形容詞的用法の不定詞の末尾の前置詞は,もともとは@のように必要だったのだけれど,
「意味を誤解されなければ省いてもいいじゃないか」という心理が働いて,省略するケースの方が多くなった,
と考えることができます。
比較のために,「前置詞が必要な例」を挙げておきます。
EI
need a box to put these toys in.(これらのおもちゃを入れる箱が必要だ)
この文では,in
がもし on
なら「おもちゃを載せるための箱」という別の意味になります。
つまりinは「中に(入れるための)」という重要な意味を持っているので,省略できません。
以上のように考えていくと,形容詞句・節の末尾の前置詞の省略は,かなり幅広く行われていることがわかります。
そもそも省略という現象の前提には,「省いても誤解されないはずだ」という意識があります。
たとえば I
studied for an hour. (1時間勉強した)の for を省略すると I
studied an hour. となります。
この文は厳密には「私は1時間(というもの)を研究した」という意味にも解釈できます。
しかしこの
for
の省略が可能なのは,「(常識的に考えて)誤解されないだろう」と話し手が考えているからです。
逆に「もしかしたら誤解されるかもしれない」と話し手が考えていれば,前置詞を残そうとする意識が働きます。
That's the
place she works (at). で at
を省略するかどうかは,そうした「誤解の可能性」を話し手自身が
どの程度高く見積もっているかによって決まる,と言ってよいでしょう。