最終更新日: 2008/03/29

雑記帳 (お仕事・英語編-D)

 


 

◆ ベストセラーへの道 〜第1回〜 ◆

 

 

その昔,「ミュンヘンへの道」というTVアニメがあった。

ミュンヘン・オリンピックの前年ごろから始まり,森田・大古・南ら実名の日本男子

バレーボールチームの選手たちが登場して,最後はミュンヘンで優勝して終わる。

たしか放送終了は実際のオリンピックの少し前で,現実とアニメの内容が食い違ったら

白けるところだったが,日本男子チームは本番で奇跡的に金メダルを獲得した。


世の中に「フリーライター」と呼ばれる人々は山ほどおり,その大半は「自分の本が

ベストセラーになること」を夢見ていると思う。しかし,その夢にある程度の現実味を

感じながら原稿を書ける人はごく一握りであり,実際に書いた本がベストセラーに

なる人はそのまたごく一部にすぎない。ぼく自身も,去年までは「ベストセラーを夢想

しながらちまちまと日銭を稼ぐ,その日暮らしのライター」の延長線上のヒトだった。


2008年の正月休みが明けた初日の1月6日,事情は一変した(自分の中では)。

ある本の執筆に着手したからだ。ベストセラー(?)への長い道のりの始まりである。

この本の構想自体は,前から漠然と持っていた。しかし,とにかく手間のかかる仕事

になることは確実で,まとまった時間が取れない限り執筆は無理だろうと思っていた。

しかし今年は,1月中は目先の仕事があるが,2〜3月のスケジュールは空いている

(4月以降は新年度の仕事が入りだす)。そこで,丸1日かけてこの本の構想を練り,

サンプル原稿を1ページ分作ってみた。その結果,「これは絶対に『売れる本』になる!」

という確信を持つに至った。ちょうど小池さんから新年のあいさつの電話が入ったので,

本の構想を簡単に伝えておいた。


市販本を出版するためにはいくつかのハードルがあるが,最大の難関は「出版社に

企画を通す」ことだ。たとえば,出版社には「原稿の持ち込み」をする人が大勢訪れる。

無名の著者が「自分の書いた本をおたくで出版してほしい」というパターンだ。その種の

持ち込み原稿を「これ,どう思いますか?」と編集者から見せてもらったことがあるが,

いわゆるトンデモ本だった。こういうのは論外としても,出版界は最近不況のため,

「確実に売れそうな本」しか出してくれない。一番わかりやすいのは,著者のネーム

バリューである。編集会議で新刊本の企画を検討する際には,「その著書の過去の

売り上げ実績」が大きく物を言う。また,ブログなどで確実に本を買ってくれそうな読者の

数が想定できれば,企画は通しやすい。「本の内容」だけで出版社に企画を通すのは

なかなか難しい。こちらは「本を出してもらう」立場だから,編集者をどうにか説得して

「ぜひこの本を出版させてください」とお願いする形になるわけである,普通は。

 

しかし,この本はそうではない。原稿を書き始める前に決めたのは,「企画を競売に

かける」という特殊なスタイルだ。完成した原稿の一部を複数の出版社に持ち込み,

一番高く評価してくれたところと手を組む。要するに「買ってください」と自分から頼む

のではなく,「ほしけりゃ売ってやる」という,思いっきり高飛車なやり方である。

オークションだから「買い手がつかない」こともあり得るだろう。それはそれで仕方がない。

自分の力不足だ。「この本が売れない(または出版されない)ようなら,執筆活動なんか

やってられるか」と腹をくくった。その自信はいったいどこから来るのか?と言えば,

今までの成功や失敗や失敗の繰り返しを通じて身につけた「直感」による。

「自分が読者なら,果たしてこの本を買う気になるだろうか?」と想像した場合,その

答えがイエスに近いほど実際に売れている(もちろん予想が外れたケースも多い)。

しかし,今までに30冊以上の市販本を書いてきたが,「この本は絶対売れる」という

確信が持てたものは1冊もない。自分の本だから,内容には愛着もあるし,そこそこの

自信もある。しかし,「売れるかどうか」は必ずしも内容とは関係がない。

 

(著者が有名人であるなど)最初から売れる要素を持った本を除き,ヨーイドンで書店の

棚に並んだとき「売れる」本は,たとえば次のような特徴を持っている。


@ 読者層が明確で,その数も多い。
A タイトル・表紙など,見た目のインパクトが強い。
B 出版社の営業力が強い。
C 新聞の書評など,他のメディアで取り上げられたことがある。


このうちCはある程度その本が売れてからの話なので,問題は@ABである。

正月にぼくが構想した本は,@Aの条件を満たしている。Bは,オークションでどの

出版社が手を挙げてくれるかによる。少なくとも言えるのは,読者はその本の中身を

ゆっくり読んでから買うかどうかを決めるのではない。大切なのは第一印象である。

その点が,この本は自分が今まで書いてきた本や,同じジャンルの類書とは違っている。

そこにこそ,「絶対売れる」という確信の根源があるのである。具体的にはまだ内緒だ。


 

 

1月下旬。漁師は,正月明けに300m沖でハリに掛かったマグロとの格闘を続けていた。

糸をどれくらい巻けたのかは,よくわからない。相手はこれまでに経験したことのない

大物で,まだ200mほどは離れていそうだ。この段階では,糸を引く作業に緊張感はない。

ただ黙々と,地道に糸をたぐり寄せるだけだ。むしろ大変なのは,妄想との戦いである。

「このマグロを市場に出した暁には・・・」という想像が頭の中でどんどん膨らんで,フトンに

入っても興奮して寝付けない夜が続く。しかも1月中は別のこまごまとした仕事も入ってきて,

なかなかマグロに集中できない。当然,釣りどころの話ではない(話がややこしいね)。

雑誌の取材を頼まれたりして仕事感覚で竿を出したりもするが,マグロとの戦い以外の

何をするのも時間が惜しい。

2月中旬。漁師の妄想はさらに悪化し,彼は戦国武将に変わっていた。今自分は,英語

関係の中でも競争の激しい(読者の多い)出版ジャンルで戦っている。この分野で現在

トップを走っている本は,たぶん累計で数十万部くらい売れているだろう。そのほかにも

いくつかの売れ線の本が鎬を削り,群雄割拠的な状況にある。この武将は当然思うわけだ。

「オレが天下を取ってやる」と。天下を取るとは,「ターゲットとなる読者全員がオレの書いた

本を買う」ことを意味する。正直,この年齢でこんな「野望」が持てるとは,ちょっと前までは

思ってもみなかった。昔は野望があった。この業界に入った頃には,「自分にしか書けない

本で天下を取ってやる」という意欲に燃えて満ちていて,具体的な構想も持っていた。

当時(25年近く前)「自分のライフワーク」と考えていた本のタイトルは,「入試英語事典」という。

要は「大学入試の英語のことがすべて載っている百科事典」で,その下作業も地道に続けて

いたが,時が流れて気づいた頃には,その種の本の予想される需要が激減していた。

最近では「出来高払いの小さな仕事をしながら生活できる程度の小銭を稼いで引退する」と

いう枯れた心境だったが,今は一気に20歳くらい若返ったような野望に燃えている。

この野望がもし実現したら,いったいどのくらいの印税が入るのか?1冊1,500円の印税4%

なら60円,10万部なら×××。間違えて100万部売れたら×××。とか。もう妄想と煩悩のカタマリ

である。怖い怖い。


しかし,2月下旬になっても,マグロはなかなか寄って来る気配がない。ちょっと寄ったかと

思えばまた離れていく繰り返しで,季節的にも一番寒い時期であるし,仕事場にこもりきりで

パソコンに向かう日々が続く。2月に入ってからは完全に他の仕事を外し(やろうと思えば

他の仕事はあるが,全部後回しにして),自分にノルマを課した。ノルマは「1日10時間,

日曜日だけは6時間」。もちろん「今日はオフ」なんて日はない。だいたい朝の7時半ごろから

パソコンに向かい,昼食・休憩をはさんで夕方6時半ごろまで。帰宅してフロに入って食事をし,

寝るまで2時間。これで約10時間になる。昼食はコンビニ弁当かカップめん。ふだんは健康の

ために出かける散歩も,時間が惜しいのでパス。新陳代謝が悪くなってハラも減らず食欲も

なく,その割に体重も減らないのは不思議だったが。


3月中旬。旅人の前には蜃気楼が広がっていた。ゴールはもう目の前に見えている。しかし,

「あと3日くらいで終わりそう」と思っても,その「あと3日」が永遠に続く。まるでビューティフル・

ドリーマーだ。実の話,仕事を始めた頃には「うまくすれば2月中には終わるかも」という期待も

あった。しかし次から次へと追加するネタが出てきて,エンドレスの状態が延々と続くのだった。

何しろ,相手は一世一代の大物だ。しかし執筆を開始した頃は,万一期待したほど売れなくても

「ベストセラーの夢」を見られただけでも満足すべきかも,と思っていた。いわば,リスクのない

ギャンブルだ。しかしさすがにこの頃になると,要した時間と収入のバランスが気になってくる。

何しろ2月以降はこの仕事しかしておらず,実質3か月分くらいの労力をこの1冊の本に費やして

いるのだ。大間のマグロ1本分くらいの水揚げでは全然元が取れん。本の中身に対する自信は

少しも揺るがず,仕事自体もパソコンの前に座るとトリップ状態になるので全く苦にならないが,

床に着く頃になると漠然とした不安が募ってくる。このマグロとの戦いに没頭していた間,日々の

生活で何も起きなかったわけではない。身内が入院したり,自宅のビデオデッキが故障したり,

ねんきん特別便が送られてきたり(問題は大ありだったが今はそれどころではない)・・・諸々の

雑事にも対処しながら,1日10時間の戦いは続いた。

戦いも終盤を迎えた頃,しみじみと思った。この本がどのくらい売れるかは,わからない。

しかし,はっきりと言えることが3つある。

 

第1に,1つの仕事にこれだけの時間とエネルギーを費やしたことはこれまでに一度もなく,今後も

二度とないだろう,ということだ。フリーになって以来いろんなサイズの仕事を手がけたが,一番

大きな仕事でも正味1か月程度で終わった。この仕事はその約3倍のサイズだ(ただし本自体が

分厚いわけではない)。

 

第2に,売れた部数がどうであれ,この本が自分のキャリアベストだということ。自分の中でこれを

超える本は,決して書けないだろう。だからこの本はぼくの仕事人生の集大成であり,この本に

人生を賭けていると言っても過言ではない。

 

第3に,この仕事は「フリーライター」という身分だったからこそできた,ということだ。2年前までの

ような親会社と専属契約を結んで定期的に仕事が来るスタイルでは,まとまった時間が取れず,

今回のように集中して作業することはできなかっただろう。この原稿は,他の仕事を後回しにして

「何としても3月中に仕上げる」と決めて集中できた。そういうスケジュール調整ができたのも,

フリーであるおかげだ。ただし,4月以降は反動でさらに多忙になりそうだが。ついでにぶっちゃけて

言うと,うちの有限会社は今年で設立16年だが,「売り上げ目標」としてある数字を設定している。

年間の売り上げがこのくらいの額に届いたらいいな,という数字だ。その数字を達成したことは,

今までに一度もない。目標額の95%くらいまでいったことはある。この本の印税で,1年だけでも

その目標ラインを超えてみたい,という夢もある。ちなみにうちの会社は1月末が決算で,今年1月の

決算時での目標達成率は80%強だった。フリーになった頃はいろいろと不安もあったが,こういう

夢が見られるようになったのもフリーであるおかげだ。人生万事,塞翁が馬である。

 


そして,3月も終わりに近づいた頃,ついにマグロは漁師の船に引き上げられた。まだピチピチはねて

いる状態でもう少し下処理が必要だが,ここまでくればもう魚市場へ運べるだろう。満を持して企画案と

原稿の一部を小池さんへメールで送る。巨大(?)マグロはいよいよセリ市へと運ばれることになった。

 

果たしてこのマグロに,買い手はつくのだろうか・・・? (第2回に続く)

 

 

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